マリンガと周辺の1世たち㊥ 『モンチ・フジ』チーズ販売の塚田さん

マリンガと周辺の1世たち㊥ 『モンチ・フジ』チーズ販売の塚田さん
毎週のフェイラに出店する塚田さん(2018年6月9日撮影)

 マリンガ市のプルデンテ・デ・モライス大通り近くで、毎週行われているフェイラがある。ここでひときわ賑わっている店の商品の一つが、『モンチ・フジ』という名前のチーズだ。生産者は塚田強さん(73、北海道)。現在は同市から近いドトール・カマルゴ市に住んでいる。

 4人兄弟の末っ子として生まれた塚田さんは、幼い頃に両親を亡くし、3歳で叔母夫婦に引き取られた。当初はパラグアイに移住した叔父の従兄弟に呼び寄せられたが縁があり、実の姉と育て親の家族6人で1959年に「あるぜんちな丸」に乗船し、ブラジルへ移住。最初はコーヒー農園でコロノ(契約労働者)として働いた。ポ語が分からないため、ほぼ学校にも行かず、塚田さんも朝から晩まで仕事をしたという。

 60年頃に、叔父がマリンガ市フロリアノ区の土地を買った。「これが、ひどい土地で」と塚田さんは当時を振り返る。「農地は石山、道はガタガタで坂も多い。家はノミも酷くて、最初の日は車の中で野宿したよ」と苦笑する。

 しばらくコーヒーや野菜の栽培を行ったが、67年にイタリアブドウを栽培し始め、コチア産業組合からサンパウロ市へ販売した。当時まだ生産者が少なかったこともあり、飛ぶように売れた。また、道端でも販売を開始し、これが功を奏して金を儲けた。他にも土地を購入し、順風満帆だった。

 74年に結婚、75年にドトール・カマルゴ市へ移り、養蚕も始めた。これも売れたが、次第に周囲もブドウの栽培や養蚕を始め、価格が下落。さらに75年頃には周辺農場の使用する農薬が原因で、蚕(かいこ)が死んでしまった。

 その頃、隣に住んでいたミナス・ジェライス州出身のブラジル人に、チーズの作り方を教えてもらった。当初は家族で食べるために作ったが、試しに販売してみると喜んで買ってもらえた。

 本格的に商売にするためにアルゼンチン乳牛を購入し、マリンガ市へ配達を始めた。また、食品店へ卸売りも始め、商品名を日本で有名な富士山から『モンチ・フジ』と名付けた。

 この多角的な農業経営に対し、90年にはマリンガ市から表彰も受けている。新聞や大手テレビ局のグローボなどメディアからの取材も受け、瞬く(またたく)間に有名になった。「お陰さまで、マリンガで『モンチ・フジ』を知らない人はいないと思う」と塚田さんは笑う。

 現在は15人の生産者から牛乳を購入し、ドトール・カマルゴ市にある工場でチーズを生産し、マリンガ市だけでなくロンドリーナ市でも販売。塚田さんは事業を娘夫婦に引き継ぎ、主にマリンガ市のフェイラに出店を続けている。

 「日本から来て、叔父から『真面目に努力して働く』と教わって、無我夢中で仕事をしてきた。先に、先にとやっていたことが上手くいって、運が良かった」と塚田さんは謙遜するが、間違いなくマリンガ市の発展に貢献した日本人の1人だ。(つづく)

2018年7月12日付

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