モザイク 2017年12月7日付

 コチア産業組合の創立者、下元健吉氏は戦後の勝ち組負け組の混乱時には、認識運動の筆頭に立ったことでも有名。同組合で理事長を務めた山下亀一氏は「終戦事情伝達趣意書」に署名をした7人のうちの1人。同組合設立の地、コチア市の日本人、日系人の間では敗戦を認識する人たちが「ほとんどだった」とドミンゴスさんは当時の様子を証言した。ただ、「学校に行く時によく利用していた店の店主が勝ち組のカチコチで、(子供たちに)『何を言うてんだ、お前ら』」と認識派の子弟らを諭していたという。その後、「『日本が勝ったから、日本に帰る』と言ってどこかに行ったけど、しばらくしたら戻ってきて、子供たちに笑われていた」と当時を振り返った。数々の根も葉もない噂が飛び交った混乱期を伝える一幕だ。どういうふうにして日本に帰るつもりだったのか、詳細はわからないが、こうして実直な思いゆえにかいた「恥」は辛かったろうと記者は思う。
     


 先頃、リオデジャネイロを訪れた際、リオ日系協会が1983年に発効した機関誌「リオ日系協会 周年誌(唯一の記念号)」にお目にかかった。当時の貴重な記録が掲載されている。見せてくれた人の何気ない一言が印象的だった。「写真もそうだけど、紙で残っていることの大切さが忘れられていますよね」と。インターネットの時代になり、記者らの世代は調べものをする時、インターネットに頼ってしまうことが多い。記者が感じる紙が貴重な点は、ネット上の仮想空間と違い、紙は色あせていくが、色あせるほどに希少・重要性が増していく。本紙の社内に創刊当時からの紙面が残っているが、最初に見た時はよくこんなに残っているなと感心した。不思議と古い紙の資料を触る時は、慎重に扱っている自分がいることにも気が付いた。
     


 紙に残すことの重要性で、もう一つ感じるのは、紙が自身に作用することだ。語学などの勉強も書いて覚えるのが一番良いと、年配の方から教わった記憶がある。記者が以前、設計の仕事をしていた際も、取引先の社長から「今はCAD(自動作図ソフト)で図面を書くが、昔はドラフターで手書きしていた。自分で書いている分、何ページあろうと全て頭に入っていた。図面を見なくても、相手がどこの箇所の話をしているか手に取るように分かった」と語ってくれたのが印象的だった。新聞記者も昔はそうだった。紙面が手書きの時代もあったほどだが、今は原稿用紙すら会社には無い。時代の流れは仕方がないが、紙の重要性を忘れては、貴重な記録は消えてしまうかもしれない。
     


 本日午後7時半からサンパウロ市リベルダーデ区の文協ビル2階貴賓室で、秋の叙勲祝賀会が行われる。今回受章したのは菊地義治氏ら3人。参加費は100レアル。問い合わせは文協(電話11・3208・1755)まで。

2017年12月7日付

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