モザイク 2018年12月22日

 「日系社会の遺産調査」の取材で、サンパウロ市内の墓地を訪れた際、本紙創業者の水本光任氏および親族が眠る墓の前を通りかかった。立派な佇まいの墓からは、名前が刻まれた銅版が消えていた。一連の取材でよく見かけた光景だった。本紙創業者は、廃刊という事実をどのように受け止めているだろうか。邦字紙が一つ無くなることで、日系社会は団体のチェック機能を一つ失うことになる。日系社会と本国との通信機能の一部もだ。これでは、各団体への監視の目が少なくなり、人目に触れず不正が行われたとしても、一般には知る由もない。さらには、必要な情報が本国に届かなくなり、関心が薄れてしまう危険性があり、移住者の記録も減ってしまう。インターネットの時代が加速しようとも、邦字紙という媒体の重要性は計り知れない。本紙創業者は、現代における邦字紙の価値を、どのように考えるだろうか。あの世に行ったら、聞いてみたい。


 「自分はサンパウロ新聞の記者をしている」と話すと、どの世代の日系人も「あー、サンパウロ新聞!」と反応をいただく。中には読者や読者の娘や孫に出会い、好意的に迎えられたものだ。その度に、自分の役割の重要性を感じた。弊紙は廃刊となり、日系社会の現状を伝えることができなくなる。読者の生活や未来を考えると、これは大きな損失だと思う。邦字紙が失くなれば、日系社会の団結力は弱くなり、日本とのつながりも薄くなるのではないか。そう懸念するが、これも一つの時代の変化と受け入れなければならないだろう。日系社会の情報発信方法の革新ができればと切に願う。


 1998年5月にサンパウロ新聞に入社して以来、約20年半にわたって記者及び編集の仕事に携わってきた。個人的には、94年1月から約4年間の旧日伯毎日新聞(現・ニッケイ新聞)での記者生活を含めると、ブラジル日系社会での取材活動は図らずも、四半世紀にもなってしまった。その間、サンパウロ市及び近郊をはじめ、地方に取材に行った際に数知れぬ方々に大変お世話になってきた。特に、地方の移住地取材などの場合は自力で現場まで行くことができず、取材対象者などに最寄りのバスターミナルまで車で迎えに来てもらったり、その人の自宅に泊めさせてもらって入植当時の話を聞かせてもらうなどした。そうした方々の献身的な協力なくして、邦字紙での取材は成し得なかったことに、改めて感謝の気持ちをお伝えしたい。読者の皆様、長年にわたって購読いただき、本当にどうもありがとうございました。

2018年12月22日付

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