モザイク  2018年6月7日付

 「健康体操の日」記念式典で歌を披露した歌手の中平さんは、身体障害2級で、左腕を満足に動かすことができない。そんな彼女は15年歌手活動を続け、昨年大きな手術を乗り越え「手渡された110年」を作った。冒頭の歌詞は、「覚えていておくれ、大事なことさ」という言葉から始まる。中平さんは「『日本人移民を忘れないで』と伝えるのが私の仕事」と話す。「日本での公演が増えたが、東日本大震災の時にブラジルが日本へ6億円寄付したことを伝えると、知らない人が多い。こんなに大きな金額を寄付できたのは、日本人移民がいたからこそ。忘れないでほしい」と先人の功績も込めて繰り返し語った。
     


 県連5月度代表者会議の中で、移民110記念祭典委員会の菊地義治実行委員長から、HONDAのシビックを1等商品に据える第2回リッファの販売状況について報告があった。同リッファの協力券は、現在500冊以上が売れ残っている状態だという。「大変売れ行きは良いが、2回目は非常に難しい」と菊地実行委員長が語るように、日系社会には同種の協力券を2回も購入できるほど、経済的に余裕のある人ばかりではない。全体2500冊のうち、本当に80%も売れているなら大したものだ。
     


 登山家の栗城史多さんが去る5月21日、8度目のエベレスト登山中に35歳という若さで亡くなった。死因は転落死。エベレストの中で最も難しいルートを選び、命を失った。栗城さんは「単独・無酸素登頂」を掲げ、世界7大陸最高峰に挑戦。その登山方法について批判する人も多く、「彼の登山はむちゃくちゃだ。無謀すぎる」と言われ続けた。彼の登山の実力と、選ぶルートの難易度に乖離(かいり)があったのだ。実際に、12年に4度目のエベレスト登山に挑戦した際には、凍傷で手の指9本を失った。
     


 それでも、記者の周りにいる友人や起業家で彼を支持する人は多かった。栗城さんは山を登ることそのものが目的ではなくて、困難に挑戦し続けることで人々に勇気を与えていた。『僕の本当の夢は、否定という壁をなくしたい』と栗城さんは生前の講演で話していた。彼に勇気をもらい、カンボジアに学校を建てた人がいる。モンゴルに建てた孤児院が倒産寸前だった時に、彼に寄付や多くの支援をしてもらったという人もいる。命を失うことは本当に残念だが、失敗しても否定されても挑戦し続ける彼の志を、一人でも多くの人が受け継ぐべきだろう。

2018年6月7日付

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