リオ石灯籠を巡る逸話㊤ 「軍艦組」とともに伯国到着 埋もれつつあった寄贈の歴史

リオ石灯籠を巡る逸話㊤ 「軍艦組」とともに伯国到着 埋もれつつあった寄贈の歴史
リオ市チジュカ国立公園内に建立されている石灯籠
リオ石灯籠を巡る逸話㊤ 「軍艦組」とともに伯国到着 埋もれつつあった寄贈の歴史
除幕式で安東大使(中央右)と握手するリマ市長(中央左)(1957年本紙記事から)

 1954年に東京晴海埠頭を出帆した軍艦(海軍用輸送船)「クストジオ・デ・メーロ号」に乗せられて、2基の石灯籠が東京都からブラジルに贈られた。力行会の「軍艦組」25人とともに55年3月に到着した石灯籠は、1基はサンパウロ市リベルダーデ区ラルゴ・ダ・ポルボラに安置されており、もう1基はリオ市チジュカ区のチジュカ森林公園内に建立されている。徳川将軍家の祈祷所・菩薩寺である東叡山寛永寺(とうえいざん・かんえいじ、東京都台東区)から寄贈された歴史ある石灯籠だが、今では日系社会の歴史から消えつつあり、東京都に問い合わせても「東京都では当時の資料は確認できませんでした」という回答に終わった。中でもリオ市の石灯籠は、2005年頃に斉藤光さん(79、群馬)によって認知されるまでは存在している事実さえも消えかかっていた。記録に残る場所へ移したいという思いから、過去にはリオ移民100周年委員会で同市イパネマ区のリオデジャネイロ植物園(ジャルジン・ボタニコ)内の日本庭園に移設する話も持ち上がっていた。

◆石灯籠の経緯

 2基の石灯籠は、徳川11代将軍・家斉(いえなり、1773~1841年)の豊後の国(大分県)日出(ひじ)城主の木下俊敦(1802~1841年)によって建立され、東叡山寛永寺の文恭院に贈られた。石灯籠には「奉献石燈籠一基 東叡山(=寛永寺) 文恭院殿(=家斉の戒名)尊前」と刻まれており、徳川家の家紋も刻印されている。高さは約3メートル、重量は約5トンになるという。

 寛永寺は、1625年に徳川3代将軍・家光によって建立。天台宗の僧侶・天海によって開山された。当時の年号から寺号を「寛永寺」とし、京都の比叡山に対して、「東の比叡山」という意味で「東叡山」と山号が付けられたという。徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が眠っている。日本の歴史的にも重要で、格式高い寺院だ。

 資料によると、東京都知事・安井誠一郎(当時)氏が日伯親善のために、寄贈されたとある。東京晴海埠頭を同軍艦が出帆する際には東京都副知事・岡安彦三郎(当時)氏が「世界一人口の多い都市(当時)・東京から世界一自然が美しいリオデジャネイロ市へ」と銘打って手渡されたという。

 リオ石灯籠は55年に到着後、57年5月15日にリオ市チジュッカ区エジソン・パッソス通りにある公園で行われた除幕式にはリオ市長ネグロン・デ・リマ(当時)氏、トロッタ将軍、市議などの関係者が出席し、日本側からは駐ブラジル大使・安東義良(よしろう、当時リオは首都)氏ら大使館員40数人が参加。戦後移住50周年記念誌には、安東大使のコメントが「このささやかな贈り物がブラジルと日本の親善を強化する記念碑となることを期待します」と記録されている。

 しかし、石灯籠が55年3月にリオに到着し、除幕式が執り行われるまでの2年間、どこに安置されていたかの記録はリオ日系社会に見当たらず、当時の資料について寄贈した日本側の東京都も「東京都では当時の資料は確認できませんでした」と、贈った経緯すら残っていないという回答だった。(戸)(つづく)

2018年1月11日付

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