リレーエッセイ 3月  細江 ゆきえ

写真:講演会で細江さんと千葉いさみ精神科医

 前書き

 毎日映し出される日本の惨状を目にすると胸が締め付けられます。大地震、津波の後は放射能漏れの心配。唯一の被爆国に原発の事故、天災とは言え、あってはならないこと。必ず事故は起こる。100%安全は不可能では、などと考えていると、私事を書き綴った原稿が意味のないものに思え、書き直しました。

 教育現場ひとすじ  細江 ゆきえ

 今月、ひな祭りの日三月三日に、不安と期待の入り混じった面持ちでコンゴーニャス空港に降り立ってから、ちょうど33年が経ちました。
 日本では、東京の田園都市線沿線にある小学校の教師でしたが、縁あって、一番遠い国に来てしまいました。―国家公務員で恩給はつくし、どうして捨てて来たの、もったいない。―と言われましたが、運命なのですね。

 そういう訳で、教育畑にいたものですから、サンパウロ日本人学校に現地採用されました。当時は日系企業が相次いで進出して来ていたので、1000人以上の生徒を擁していました。その後、ピラシカーバのブラジル企業に派遣されている日本人技術者四家族の子女のため、企業立日本人学校を開設するよう招かれました。ほとんど日本と同様の授業を、実験なども含めて、するように努力しました。ですが、一家族一家族と減っていき、最後の生徒も帰国する頃、アメリカーナのやはり企業立の学校で先生を探しているとのこと、また引越しとなりました。ここアメリカーナでは、小学校から中学校まで9人の生徒がいて、キャンプや学芸会などの行事には現地社員の日系子女も呼んで楽しくやっていました。ところが、ブラジルの景気が悪化し、駐在員はどんどん帰国、家族で駐在することも稀になりました。そうして学校は消滅したのです。

 さて、職を失った私は、ブラジル語でいう、ビッコとかケブラガーリョの類で、日本語やピアノを教えたり、また土曜学校を自宅で開いたりしました。日本のカリキュラムにある図画工作や、書道、体育など、こちらの学校で欠けていると思われる活動を日本人あるいは日系人の子女を集めてしていました。準備が大変でしたが、やって良かったといつも思ったものです。

 その頃友人から、学習塾を開けて、日系人だけでなくもっと対象を広げたら、と勧められ、思い切って開けることにしました。それ以来、ブラジルの教育現場に首を突っ込むことになってしまいました。入って来る生徒の大半は基礎が全く無く、それ故に勉強嫌い、無気力、自信の欠如、頭を下げたままです。ところがそんな子供たちが、自分の能力に気がつくと、頭をもたげ、やる気が出て来ます。病気がちだった子も元気になってしまうんです。大人の生徒でも自分ができるようになると幸せな気分になります。日本では全体的に教育のレベルが高いので大人が勉強している姿はあまり見かけませんが、ここでは勉強に年齢はありません。生徒を見ていると、この国の教育問題にぶち当たらざるを得ません。初等教育の充実が最優先されるべきと私は考えます。今年九月には塾開設25周年を迎えます。その間、優秀な生徒が多く輩出しました。医師、歯科医、エンジニヤなど数え切れません。卒業式に招かれることがありますが、教師冥利につきる瞬間です。

 長い間教育現場にいて思うことは、昔とは違うということ。昨今日本でも言われているモンスター家族。ブラジルにも出現しています。子供はコンピュータ漬け,親は仕事一点張り。お互いに感謝の念がない、立ち止まって子供を愛の眼差しで見ることがない、抱擁うはしても。人間までデジタル化されたようです。教育はそういうところでは成り立ちません。生の気持ちの触れ合いがあってこそ、心のひだに入って行けます。デジタル化されていく子供たち、将来この子達が大きくなったらどうなるのかしら。何が一番大切なの? ――目に見えないものよ。例えば、正直、誠実、努力、献身、親切、思いやりなどなど、いっぱいあるでしょう!? こんな会話を生徒とやりとりし奮闘する毎日が続きます。

 デジタルの世界でテクノロジーが進み過ぎて、ちょっと間違えれば大切な目に見えないものを失いがちです。人間の歴史は益々人間らしくなる歴史であるべきなのに。今回の原発放射線漏れで、そんなことを考えました。
 還暦を過ぎ,生涯現役なんて威張っていたくせに、あちこちにガタが来始めました。でも生徒が達成感を味わい、その満足した笑みを見れば癒されます。根っからのセンセイなのね、と言われても仕方がありませんね。

2011年3月26日付

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