人文研講演会「光を放った男達」 工業移民の小山昭朗さん 伯国社会工業化・発展に寄与

人文研講演会「光を放った男達」 工業移民の小山昭朗さん 伯国社会工業化・発展に寄与
講演する小山さん

 サンパウロ(聖)人文科学研究所(人文研、本山省三理事長)とブラジル日本移民史料館共催の第20回「コロニア今昔物語」が1月23日、聖市リベルダーデ区の文協ビル5階県連会議室で開催された。今回のテーマは「光を放った男達―ブラジル工業移住者の足跡―」。講演を行った元ブラジル工業移住者協会会長(現ブラジル・ニッポン移住者協会)の小山昭朗(あきお)さん(76、東京)は、工業移民の歴史や実績を、長年一番近くで見つめてきた。1961年から正式に始まった工業移住制度で、日本から約3000人(家族含む)と言われる工業移民が渡伯し、ブラジル社会の工業化・発展に寄与してきたことが講演で改めて紹介された。

 当日は会場に集まった約40人に向けて、最初に人文研の髙山儀子理事から「工業移住者の歴史や、実際の経験を踏まえて工業移住を話していただきます」と前置きがあり、小山さんの講演へと移った。

 小山さんは「ブラジル移民史の中で、技術移住者について書かれた資料や物語が本当に少ない。農業については色々な資料や書籍、話が残っていて、農業移民がどれだけブラジルに貢献してきたかは誰しもが知るところだが、技術移住者がブラジルでいかに活躍してきたかを、1人でも多くの人に知ってもらいたい」と話し、ブラジル社会・戦後移民の歴史を振り返りながら、工業移住開始の経緯を語った。

 56年、大統領に就任したクビチェック(当時)が「50年を5年で」というスローガンのもとに、工業化政策を推進した。農業国から工業国への舵を切ったブラジルでは同年、ジャミックなどの現地法人が設立され、海協連(現JICA)本部からジャミックを通じて聖市周辺企業の求人を開拓。同時期に日本では、神奈川県秦野市の職業訓練所内に工業移住課が設けられ、61年の第1回技術移住者の約半数を輩出した。

 78年にはブラジル工業移住者協会が設立され、小山さんは設立当初から副会長を14年間、2代目会長を12年間歴任した。

 また、小山さんの調べによると、聖州内に入った技術移住者は1356人と確認できており、中にはブラジル社会を変える偉大な仕事をやってのけた人が100人近くもいるという。ブラジルで世界最大の水力発電機開発者、エスカレーターの設計者、エンブラエル社の民間飛行機開発の中枢を担った人、プロ用ギター職人として名を馳せた人などを紹介し、「これでも、わずかに数例です」と実績の高さを強調する。

 小山さんは、「技術移住者は、細かいことに固執するなど良くない面もある」と指摘する一方で、「趣味でも仕事でも物事をとことんまで追求し、深く掘り下げられるのが技術屋さんの特徴」と語った。

2018年2月10日付

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