伊で感じた美を刻み続ける③ 彫刻家に転身、伯国に移住

伊で感じた美を刻み続ける③ 彫刻家に転身、伯国に移住
第7回ピアテェッタ賞受賞作品の一つ(豊田さん提供写真)
伊で感じた美を刻み続ける③ 彫刻家に転身、伯国に移住
第7回ピアテェッタ賞授賞式(豊田さん提供写真)

 豊田豊さん(86、山形)が、ミラノで彫刻を始めた頃、転機が訪れる。ピアテェッタ公園の中にある美術館で開催された展覧会「(第7回)プレミオ・ピアテェッタ」に出品すると、最高賞を受賞した。豊田さんが27歳の時だった。同展覧会を見に来ていた人の中に、ブレッシアにできたばかりのガレリア(画廊)・シンクロンの主人ニッツェ氏がいた。豊田さんの作品を気に入ったニッツェ氏は、同画廊のオープニング展覧会の大役を任された。豊田さんにとっては、彫刻家になって初めての個展だった。出展した25点の作品はほとんど売れ、「お金が無い頃だったから、生き返った」と豊田さんは当時の喜びを思い返す。また、当時の仲間たち(カステラーニ氏ら)と開催した10数回のグループ展も思い出深いという。

 豊田さんがイタリアにいた1969年、在ミラノ・ブラジル総領事館のドナ・マルガリーダ総領事から呼び出され、第10回サンパウロ国際ビエンナーレ展への招待状が届いていると告げられる。ビエンナーレ展は、ミラノとサンパウロで開催される、芸術家ならだれでも憧れる展覧会。豊田さんは「やると即答したもの、何を制作するか迷った。迷った末にブラジルで作品を制作することに決めた。イタリアへの未練は無かった」とイタリアを離れる決意をした時の思いを語る。

 69年末、豊田さん夫婦は帰伯。ブラジルを離れてから約10年が過ぎていた。帰伯時に現在のアトリエを購入し、ビエンナーレ展に出展する作品を制作した。豊田さんは「当時、今のアトリエ周辺は山で何も無かった。山が好きだから、この環境に決めた」と語る。

 ビエンナーレ展に豊田さんが出展した作品が、2つの国内賞を受賞。一気に注目が集まり、ブラジル政府からブラジル代表としてパラグアイやコロンビア、デンマーク、ベルギーなどで展覧会をしてほしいという要請を受けた。この時、豊田さんは日本のパスポートだっため、急きょブラジル政府から外交官パスポートが臨時支給された。翌70年、国籍の取得を打診された豊田さんは、ブラジルで仕事をしていく決意を固め、ブラジルに帰化した。豊田さんは「国籍の取得は本来1年くらいかかるが、1週間で交付された」とブラジルでは信じられない対応に驚いたという。(つづく)

2017年9月30日付

コメント1

  • キタムラ  ヒロフミ Reply

    2018年03月29日 at 16:25

    お元気でいらしゃいますか。以前、お世話になったキタムラといいます。サンパウロで色々な彫刻のお話などを聞かせて頂き本当にありがとうございました。私は、日本に帰ってきて、頑張っています。先生と一緒にブランデーを飲んだことが思い出されます。タクシーで連れて行って頂いたのですが、高速から見る半夜景がとても綺麗だったことを思い出します。また、お会いできる機会お楽しみにしています。
    北 村  洋 文

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