伯国に骨を埋めたブラキチ 元伯国三井物産社長の中村勉さん

伯国に骨を埋めたブラキチ 元三井物産社長の中村勉さん
生前の中村勉さん(藤原真理さん提供)

娘の藤原真理さんが父親を回想

 移住者という定義は幅広い。かつて日本企業の駐在員として暮らし、いわゆる「ブラキチ(ブラジル狂)」になり、ブラジルに移住して骨を埋めることを決めた人たちもいる。千葉県我孫子市出身の故・中村勉さん(ペンネームは中村勉(べん)さん)もそのうちの一人だ。癌(がん)を患った後もブラジルに住み続け、2013年10月2日にサンタ・クルス病院で75歳で亡くなってから今年で5年目となる。現在、娘の藤原真理さん(54、大阪)はJICAシニアボランティアの日本語教師としてリオ・デ・ジャネイロで活動しており、「骨を埋めるほどブラジルが大好きだった」という父親について語った。

伯国に骨を埋めたブラキチ  元三井物産社長の中村勉さん
娘の真理さん=イビウナ庵の書斎にて(2018年9月7日撮影)
 中村さんは、元ブラジル三井物産の社長として勤務し、約34年間ブラジルに滞在した。日系社会ではブラジル商工会議所の副会頭を務めたほか、日伯修好100周年記念委員会の副実行委員長、サンタ・クルス病院の副理事長を歴任した経歴をもつ。

 1994年にはイビウナに5000平方メートルの庵(あん)を構え、2011年からニッケイ新聞に時事随筆「イビウナ庵便り」を執筆していた。

 日系企業の駐在員には珍しく、葬式には駐在員としての付き合い以外にも日系社会の人や非日系人が出席し、真理さんは「大勢来ていただいて、現地に受け入れられていたようでした」と心からの感謝の気持ちを表していた。

 中村さんがイビウナに住んだのは、「日系社会が好きだったから」と話す真理さん。癌が発覚した際も、日本で治療を受けるよう説得する妻に、ブラジルに残ると頑として譲らなかったそうだ。

 日伯修好100周年で企画委員長を務めた網野弥太郎さんによれば、中村さんは日系企業の駐在員の中でも「現地のコロニア贔屓(びいき)の方」だったという。日伯修好100周年の際は、日本の進出企業から多額の資金を集め、40万レアルの剰余金が出た。「前代未聞でしたよ」と網野さんは当時を振り返る。

 また、網野さんによれば、中村さんはブラジルの将来に期待していたという。随筆「イビウナ庵便り」では、毎月のようにブラジルの経済状況を日本語で分かりやすく説明していた。

 随筆を始めた11年は、ちょうど癌が発覚した時だった。時に厳しい内容を寄稿し、「日系社会に何か言われるのでは」と真理さんは心配したが、中村さんは「真理、これはウケるために書いているわけじゃないんだ。これに反対したり、物申す人がいてもいいんだ」と自分の意見を貫き通した。

 真理さんは、「父は死ぬ直前まで口述し、私に書くように頼んでいた」と苦笑する。口述を依頼した内容は、労働組合に関するもの。かつて中村さんは、三井物産で労働組合の組長を務め、会社の幹部と闘ったこともあった。その思いが最後まで頭の片隅に存在していた様は、企業戦士としての生き方を表しているようだったという。

 現在、中村さんが住んでいたイビウナ庵は、亡くなる直前に中村さんと最も一緒に過ごした下田マキさん(65、長崎)が管理している。時折、真理さんや、現在ブラジルでポルトガル語を学んでいる孫の春菜さんがイビウナ庵を訪れている。

 「日本人と日系人には、距離がある人もいる。でも、父は地域に受け入れられ溶け込んだ。イビウナの景色を『凄いだろう』と自慢していた父が懐かしい」と真理さんは目を細めた。

2018年10月12日付
(18年10月16日一部修正)

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password