【2011年新春特集】勇退した「南銀最後の侍」清水オリジオ氏

 ――「オリジオ詣で」と言われ、毎日清水さんの所に日系団体が列を作るようにして通い続けてきました。いやな顔せず、よくお付き合いいただいたと思うのですが、その気持ちの原点はなんですか。

清水 伝田(耕平)さんが社長のとき、資金調達のためにお供してアメリカに行きました。そのとき、デカセギ日系人のことが話題になったのです。伝田さんは、『日系人のお世話をするのは我々の義務だ。儲けは関係ない』と言ったんです。ご存知のように、南米銀行は戦後、すぐにコロニアの皆さんから株を買ってもらって親密な関係を作り、以来、お世話になってきました。損得を考えずに何をすれば喜んでもらえるか、お返しの気持ちなんです。コロニアの皆さんに頭を下げることは簡単だけど、皆さんに儲けをお返しすることができないから、人の集まるイベントに使わせてもらうという考えでやり続けてきた。南銀から一つだけ志を受け継いだことは、コロニアのために何かやりたい。それは、スポンサーとして支援を続けることだったんです。

――日系団体への支援規模は?

清水
 移民100周年08年には約500件、09年は約250件、10年は約200件でした。
――やはり、移民100周年がピークですね。以後、下がり続けていますが、移民100周年は特需だったと言うことですね。
清水 08年までは移民100周年で盛り上がっていました。わが社だけでなく大手銀行が競争して日系コロニアに金を流し込んだ。それが、利益に繋がったとは言えません。各銀行とも移民100周年に向かって動いていた日系コロニアに焦点を当てた。日系人の真面目で勤勉と言うイメージの良さがお客さんに対してイメージアップに繋がるからでした。

――その後も各イベントを支援し続けてきたのは何故ですか。

清水
 移民100周年が終わってもスポンサーを続けてきたのは、日系コロニアの信用があったからです。それに、サンタンデールの頭取が親日家だったこともあります。この二つが僕にとってもありがたかった。ただ、08年は全国各地の日系団体を支援したが、今年はサンパウロ州を中心に絞りました。今後は今までのような活発な動きはしないでしょう。

――それは何故ですか。

清水
 南銀のような考え方が薄れていきます。特に、サンタンデールのように国際銀行になるとスポンサーは総合的な目で見るようになる。世界的に何が通用するかを考えるとF1レース。南米はサッカー。こうしたイベントにはごっそりお金を注ぎ込む。知名度が上がりますからね。

――企業の考え方として、日系コロニアのような小さなイベントは対象になりにくいと言うことでしょうか。

清水
 例えば、年末のイビラプエラ公園に作られたクリスマスツリーのように多くの人が見てくれて宣伝効果の高いもののスポンサーになるケースが増えるでしょう。我々はこれまで日系人というイメージでやってきた。日系人だけみて運動会やカラオケ、日本週間、何とか祭りという規模のイベントは担当地域の各支店単位で利益に繋がるかどうかを判断して決める。スポンサーとしても考えが変わっていくと思う。これからは小さなイベントは支店の利益に繋がらないと判断すれば協力はしないようになるでしょうね。企業としては、費用対効果を考えざるを得ないのです。ただ、各支店が上げてきた企画を判断するのが、僕がやってきた部署です。最終的に判断を下すことになります。

――じゃあ、県連の日本祭りは対象から外れる?

清水
 費用のかさむイベントは支援しづらくなる。宣伝効果を考えると、日本祭りは難しいような気がします。そういう意味からすると、これから先は、違う方法で資金集めを考えないとやっていけない、ということです。福祉団体は特に難しくなります。福祉は利益に繋がらない。福祉団体で全国組織のAACD、アパエなどが活発な活動をしていますが、こうした団体がどのように資金調達しているのかを勉強する必要がありますね。

――話を聞いていると、今年は日系団体のほとんどのイベントが資金難に陥りそうですね。

清水
 皆さんたちが自分たちの足で歩くことを考えないとダメな時期です。自立しないとダメなんです。ある程度厳しくなると思います。

「日系社会は崩壊する」

――話題を変えましょう。清水さんは、ブラジル全国の日系コロニアを見てこられました。移民100年が終了してから、日系コロニアが
崩壊に向かっているという危機感があります。崩壊しますか?

清水
 それが当たり前だと思います。ブラジル社会に溶け込んでいかないとやっていけない。そういう風になるのが普通でしょう。どの日系団体も若者たちが集まってこないという危機感を持っていますが、どこも若者がついてこない。3、4世の若者たちは生活するのに精一杯。日系団体に無関心になっているのは当然だと思います。

――ということは、日系団体は大きくならないと言うことですか。

清水
 なくなるのは当然ですよ。

――それでは、地方に多く見受けられる日系団体をスポーツクラブ化したらどうでしょうか。

清水 確かに2世が中心になり、やっているところがありますね。2世は1世の親の影響を受けているからできるのであって、3世になればつぶれると思います。2世の場合は、1世のものの考え方を色濃く残していますが、3世になると全く思考回路が違いますから仕方のないことです。

――日系コロニアの将来もあまり明るくないようですが、我々は今、何をするべきなんでしょうか。

清水
 日本語を外国語として扱い、日本語教育に力を入れるべきです。その中に日本文化も入るでしょうし色々なものが見えてくるようになります。日本への留学生、研修生が減っていると言いますが、送り出す人間がいないからです。日本語ができれば、留学生はまだまだ増えます。

――清水さんは日本語が堪能ですが、日本語を学んでよかったと思いますか。

清水
 たまたま、日本研修に行く機会に恵まれ、役立った。でも、今は、社会で役立つのは、英語、スペイン語、そして中国語が重要視されていますね。

文協の緞帳に思い入れ
――サラリーマン人生の中で何が一番印象に残っていますか。

清水
 橘(富士雄)さんに褒められたこと。橘さんは教育熱心で日本語を行員全部に覚えさせたいと考えていました。僕が日本語検定1級試験に合格したことを報告に行ったら合格証を見て「ようやった」と自分のことのように褒めてくれました。それと、94年に南銀で役員に昇進通知が来たときです。80年頃に銀行を辞めたいと思って父親に相談したことがあったのです。「辞めてどうする、もうちょっと頑張れ」と引き止められた。だから、父親が喜んでくれると思い、すぐに電話したのですが、「あっ、そうか」だけ。何か、拍子抜けしちゃった。(笑い)

――何か、こだわったことはありますか。

清水
 文協の南銀マークの入った緞帳(どんちょう)は変えたくなかった。あの緞帳は、南銀最後の援助だったから。しかも、私が担当したので、思い入れがあったからです。90年頃でした。上司から呼ばれ、緞帳の話を聞いて来いと言われたんです。話を聞くだけなら、意味がない、一任してくれるならと言ったら、任せるというので文協に行きました。会議室に10人ほどのおじいちゃんが待っていました。すでに、見積もりを用意しており、1か月で作ってほしいと言う。2か月あれば、できるのでそれでよければ引き受けると言ったんです。そうしたら「あんた誰にも相談しなくて決めていいのか」と逆に心配してくれたんですよ。「大丈夫。作ります」と啖呵を切って銀行に戻ったらやっぱり叱られましたね。(笑い)

――最後の質問です。これから、どのように第二の人生を過ごされるのでしょうか。

清水
 当分は釣り三昧の生活をして楽しみます。(文責編集部)

2011年1月1日付

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