【特集】南米産業開発青年隊の歴史 総勢326人が意欲に燃えて渡伯

南米産業開発青年隊の歴史 総勢326人が意欲に燃えて渡伯
訓練所建設のため現地入りした第1次の隊員(写真はすべて岩坂昇氏(第一次)所蔵アルバムより)

南米産業開発青年隊の歴史 総勢326人が意欲に燃えて渡伯
訓練所建設のため現地入りした第1次の隊員(写真はすべて岩坂昇氏(第一次)所蔵アルバムより)
 新天地に足を踏み入れ、ブラジルの地に歴史を刻んだ南米産業開発青年隊。1956年6月9日、第1次隊員がブラジルに足を踏み入れて今年で60周年を迎え、10月29、30両日には60周年記念大会(主催=南米産業開発青年隊協会(渡邉進会長))が開催された。「南米産業開発青年隊40年史」を参照に、意欲に燃えて伯国に渡った総勢326人の青年隊の歴史を振り返る。

◆制度発足の背景

 第2次世界大戦が終結した後、敗戦国日本ではいくつもの都市が戦災で破壊され、荒廃を極めていた。国に金はなく、復興に必要な物資も不足していたが、人口増加に伴って、人だけが溢れていた。

 農村部でも過剰労働人口の増加は甚だしかった。農地改革により小作人が得た土地は小さく、家長として畑を引き継いだ長男一人が耕せる面積にすぎず、次男以下の仕事がなかった。

 こうした農家の次男、三男問題を解決するため、建設省が産業開発青年隊構想を打ち出した。技術を習得し、高いレベルの職業に従事させることで、農村青年に働く場を与えるとともに、教育を施し職能を身につけさせた上で、国土開発の最前線へ投入する狙いがあった。

◆産業開発青年隊の誕生

 地域青年団の主導で運動が盛り上がってきた51年7月、最初の青年隊が山形県で誕生した。50人の青年が参加して「山形県産業開発青年隊」が結成され、工事現場で働きながら夜は技術指導を受けて学んだ。

 52年には建設省(長澤亮太事務官)の主導により、産業開発青年運動が始まった。

 やがて、建設省の事業の一環として助成金が投入され、53年には北海道をはじめ、秋田、山形、埼玉、長野、静岡、富山、島根、福岡、佐賀、宮崎の各県で22隊が設置された。電源開発、治山治水、災害復旧、道路建設、土地改良等が主な仕事だった。

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原始林の中、開拓に励む青年隊
◆青年隊のブラジル移住

 52年、日本が目覚ましい戦後復興を遂げる中、人口は増加し続けた。やがて、食糧生産と職不足で日本はパンクするかもしれないという「日本列島膨張論」が危惧されるようになり、戦後の南米移住が再開された。

 長澤事務官は、海外移住の候補地としてブラジルに目をつけた。同氏は、当時南米一といわれる事業規模を誇っていたコチア産業組合の創設者、下元健吉専務理事の協力を得て、青年隊の受け入れ先を模索した。

 こうして56年に、日本で1年間の訓練を終えた「神代組」と呼ばれる第1次隊員17人が伯国へ渡った。第1次隊員と第2次隊員は、産業開発青年隊移住手続きが未完だったため、コチア青年の移住枠を利用して移住した。

 第1次隊員は、パラナ州西部のウムアラマ地方で事業を行う土地開発会社「コブリンコ社」の仕事を請け負いながら、訓練所建設に一役を買った。

◆訓練所生活

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土地の境界線を流れる小川に橋を架設した第1次生
 青年隊が1年間、パラナ訓練所となったドウラジーナ市のセーラ・ドス・ドウラードスは、戦前移民で農場経営者として成功を収めていた和田周一郎氏が青年隊のために無償で提供した100アルケールの土地だった。

 住むための施設は第1次隊員が用意していたが、付帯施設はなく、56年に渡伯した第1期生は訓練所に到着した翌日から作業に取り掛かった。

 同訓練所では、隊員が伯国の風土や気候条件に慣れることを目的に、自給自足で1年間の共同生活が営まれた。

 訓練所時代は、隊員同士の絆を深め「山の友情」を生んだ、青年隊を語るには欠かせない場所だった。しかし、強力な後ろ盾だった下元氏が57年に急死して以来、資金不足となり、64年には閉鎖された。

 訓練所の閉鎖以降に渡伯した第10期生は、伯国へ到着後、訓練所を経ずに仕事を探し、点々とした隊員が多かったという。第10期生の後には、65年から83年までの間に17人が主に隊員らの呼び寄せで来伯した。

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ウムアラマ訓練所の事務所兼食堂
◆青年隊のその後

 1年間の訓練所生活を終えた隊員は、それぞれ仕事を見つけて巣立っていった。仕事は様々で、ウジミナス製鉄所(ミナス・ジェライス州)やイシブラス造船所(リオ・デ・ジャネイロ市)へは建設技術者が、JICAやコチア産業組合関係の仕事には農業技術者が派遣された。

 優れた技術を持った隊員が仲間を募り総合力を発揮して結果を生み出した中から、独立して会社を建設するグループも現れた。

 隊員らは、イタイプ・ダムの建設をはじめ、その専門技術を活かして多くの事業に関わり伯国の発展に大きく貢献した。

 76年、パラナ州マリンガ市で南米産業開発青年隊20周年記念大会が挙行され、各地に分散していた隊員が久しぶりに集まり、旧交を温めた。

 86年に行われた30周年記念大会以降は5年おきに行われ、今回の60周年記念大会で9回目となった。元隊員の平均年齢が78歳となる中、サンパウロ州アヴァレ市で開かれた同大会には総勢134人が参加し、60周年が盛大に祝われた。

2016年11月5日付

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