同船者会アピアイの旅㊤ 特別寄稿 中場マサ子

同船者会アピアイの旅㊤ 特別寄稿 中場マサ子
西さん宅での記念写真(提供写真)

 1967年4月12日、「あるぜんちな丸」でサントス港に上陸して、早や51年の歳月が流れ、私たち10人の同船者たちはサンパウロのリベルダーデで集合、バンで花嫁移住者、樽井八重子さんの農園へと向かいました。

 昨年、渡伯50周年を迎えて、半世紀という永い年月を経て、第1回「あるぜんちな丸」同船者会が発足されました。

 他界された方や帰国された方、消息の分からない方々の中、11人の同船者が集い、その家族も含めて30人程で賑やかな昼食となりました。

 その中の一人に新聞記者も加わっていました。

 小野和親さんは、奥さんの逝去で悲しい想いに慕っているにも関わらず、ベレンから駆け付けて来て下さいました。

 皆の50年間の苦労話を聞きながら、雨にも負けず、風にも負けず、耐え抜いてブラジルに根を張って生き抜いて来られた明るい顔を見つめ会いながら、第2回目「あるぜんちな丸」同船者会旅行の話へと発展しました。端の方で物静かに座っていらっしゃった花嫁移住者の樽井さんが、「よろしければ私のアピアイの農園に、いらっしゃいませんか」とのお誘いに、満場一致で決定しました。

 1年後の再会を楽しみにして別れ、あっと言う間でした。

 大勢、申し込みが有りましたが、事情で1人減り2人減り、「同船者の家族で無くても良いでしょうか? 」との問い合わせに応じて、加わったけれども増えたり、減ったりしながら12人集まりましたが、最後になって体調を崩して、クリチバから出掛けて来ると言って、一番先頭に立ってお膳立てしていた吉岡さとみ夫婦二人が不参加となりました。

 友人の細井真由美さんが道中、昼食の件について尋ねられ、丁度、昼食時にカッポン・ボニートに差し掛かるので、「妹の所で昼食をしませんか」とのお誘いに甘えさせて頂き、翌日、農園から昼食に街へ出掛けるのは時間が掛かるので、「私の手料理で良ければ」との樽井さんのお言葉にも甘えさせていただくことにしました。

 岡田文雄さんは車やホテルの交渉に当たって下さり、池田好夫さんと待ち合わせるために前日、リンスから私と松崎広美、サンパウロに夜行バスで到着、息子の重晴が車でリベルダーデ迄、連れて行ってくれて、お土産を買いました。

 翌朝、1年振りでの再会で話が絶えませんでした。待ち合わせている間に小林音吉さん持参、息子さんの奥さんお手製の佃煮を皆に振る舞いました。

 車内で楽しく語り合っている間に、西ジュリエッタさん宅に到着、ご主人やお子さん達が暖かく迎えて下さり、クラブかと思われる程、素敵なプール付きの豪邸にカッポン・ボニート名物だと言われるロジョンや自家製の山程のご馳走に舌鼓を打ちました。

 収穫したばかりの大豆やフェイジョン豆、レモンに日本酒のお土産を頂き、アピアイへとカーブの道を走りました。(つづく)

2018年5月24日付

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