大作『平和への希い』を制作 画家で長崎原爆被爆者の伊藤薫さん

大作『平和への希い』を制作 画家で長崎原爆被爆者の伊藤薫さん
大作『平和への希い』を制作 画家で長崎原爆被爆者の伊藤薫さん
大作『平和への希い』

 サンパウロ市ピニェイロス区にある「春薫(しゅんくん)絵画教室」代表で、1945年8月9日に長崎に投下された原爆で被爆した経験を持つ伊藤薫さん(80、長崎)が、『平和への希(ねが)い』と題する3メートル×1メートルの大作を制作した。

 同作品は、5年ほど前に田上富久長崎市長が来伯した際に、同市長からの原爆関連の絵画を寄贈してほしいとの依頼に応えたもの。伊藤さんは「平和を守るための運動として、人間が世界各地で戦争を行ってきている中で平和な人たちが苦しんだことを、自分の体験を通じて絵で描くことで伝えたかった」と強調する。

 作品には、原爆投下直後の黒雲の広がり、原爆によって破壊された当時の街の様子や、広島原爆ドーム、長崎平和像、大浦天主堂、禎子像、聖観音菩薩像と般若心経のほか、広島の金輪島から大竹海兵団がイカダ船で被爆者を運んだ様子などが事細かに描かれている。また、作品中央で目を引くのは、長崎への原爆投下から1週間後に爆心地に叔父を捜しに行き、黒焦げとなった多くの死体の中から叔父の右腕を見つけ、担いで帰る当時の伊藤さん自身の姿だ。

 以下は、作品上部に書かれている伊藤さんの言葉。

大作『平和への希い』を制作 画家で長崎原爆被爆者の伊藤薫さん
作品の中央には、叔父の腕を担ぐ当時の伊藤さんの姿も描かれている

 「8月6日午前8時15分、広島に原爆が落され、8月9日午前11時2分、長崎に落された。強大な爆発で段々畑の石垣まで私は飛ばされた。4メートル位である。空は絵のように黒く、もうもうとした姿で立ち登っていた。浦上教会を中心に破壊し、死者8万人、負傷者7万人と云われていて、年が過ぎる殊に死者が増えた。私は8才で、7日目にして叔父(父の弟)を捜す為に4人にて爆心地(浦上)三菱兵器製作所に向った。製作所の鉄骨は曲りくねり折れたようになり、其の鉄骨の下敷には真黒こげで焼死体が一様で、手首、腕、首が無い人達で気が遠くなる光景であった。一ツひとつ死体を起して叔父の右腕を捜す事が出来たのも入墨が「伊藤」と書いて似たからである。胴体を見つける事が出来なかった今、思い出すに、この絵の一頁として書き収めている(原文ママ)」

 伊藤さんは、同作品を今年いっぱいはピニェイロス区の自身のアトリエ(Rua Mourato Coelho, 520)で展示し、来年2月に長崎市に寄贈する予定だという。

 同作品の見学希望者は、事前連絡(電話11・97127・7769)が必要。

2017年8月9日付

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