宝石研磨師と工房の秘話㊦ 磨き方次第で放つ光を追究

リオで宝石研磨の仕事を続けていた藤森良治さん(87、長野)は「『アメリカに通用する技術なのか』というところまで研究を重ねた」と研磨技術を追究していた。1955年頃に仕事が評価され、「最高研磨をする職人」と認められるまでに上達する。
翌56年、宝石店「アムステルダム」に入社した藤森さんは、最初の2年間、宝石研磨師としてアメリカ輸出用の宝石を磨き直していたという。入社後すぐに、藤森さんは工場長を任された。工場では外国人1人に対し、ブラジル人が3人いないと営業許可が出ないなど、仕事場の整備にも苦労したそうだ。
当初の契約期間だった2年間を迎えた藤森さんは、永住を決意し、書類上は石川島重工業の従業員という形でブラジルに残った。当時、石川島重工業とブラジル海軍の仲介人を務めていた米人パウル・タンキス氏によって、石川島重工業の技術移民という名目で、ブラジルに移住した人が多数いたという。
永住を決意した藤森さんは、宝石研磨師として、良い石の研磨方法に試行錯誤していた。藤森さんは「一日中、(原石などの)石を見ているから良い石かどうかは分かる。磨き方次第で、原石は良い光を放つ」と語り、「気に入らない(カットが悪い)場合は、何度でも手を加え、やり直した」と振り返る。

工場内で職人たちに技術を指導する際、「石を研磨させる前に、良い石そっくりのモデルを作って職人たちに渡し、サイズや切り方、形など何から何まで伝えた」と研磨指導への熱意も見せる。
また、藤森さんは宝石研磨の基本を「良い石は、石の通りに作らなければいけない」と語り、「日本でスタートできたことが良かったと思う。日本で使っていた技術はブラジルでは使えないから、メイク(研磨に使う粉)から自分で作らなければいけなかった」と振り返る。
藤森さんは、「最高研磨をする職人」として、ブラジルで試行錯誤を繰り返し、自身の磨き方を体得してきた日々を思い返した。(戸)(おわり)
2018年2月9日付
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