小野田寛郎さんを偲ぶ

小野田寛郎さんが亡くなった。1974年、ルバング島から帰還した小野田さんは、兄の小野田格郎さんがブラジルに移住していたこともあり、同年、弊社の創業者・水本光任の招きで来伯。それが縁でブラジルに移住し、妻の町枝さんとの結婚式も水本夫妻が仲人となり、水本邸で行われた。

▼マット・グロッソ・ド・スル州のバルゼア・アレグレで牧場を営み、その後本拠を日本に据えたが、毎年、年末年始には来伯していた。以前からサンパウロで小野田さんの講演会を開きたいと考えていたのだが、なかなか実現できなかった。

▼一昨年の正月だった。体調を崩していたのだが、ご本人は最後のブラジル行きを覚悟して来伯した。「これを逃したらもうできない。最初で最後の講演会を」と思い、断られることを承知の上で、講師をお願いした。妻の町枝さんはじめ周囲の人たちは「無理だよ。ちょっと考えさせて」と否定的だったのだが、牧場で元気を取り戻した小野田さんは、「いいよ、やりましょう」と快諾してくれた。

▼講演会直前に、演壇に椅子を用意し、「座って話してはどうか」と問いかけたら、「そんな失礼なことはできない。椅子は必要ない」と一蹴。1時間以上、にこやかな表情で立ったまま講演を続けた。講演会は大盛況で終えたのだが、その2日後、小野田さんのブラジルの友人から、帰国途中の乗り継ぎ地のニューヨークで体調を崩し、入院したという知らせが入った。電話をもらったとき、絶句した。幸い、事なきを得て数日後に日本に帰国した話を聞き、胸をなでおろした。

▼小野田さんは話し好きで、一人で話し続ける。4年ほど前にサンパウロから日本まで同じ飛行機だったことがある。記憶力が優れており、移住直後から付き合いのあった本紙記者のことやコロニアの話を続け、最近東京に建てた自宅の話を事細かに説明してくれたことを思い出す。▼そして、80年代に会った時、イタイプー発電所ができたために牧場周辺の気候が変わってしまったと嘆いた。環境保護の重要性に心を砕く人でもあった。

▼戦後69年、一つの時代が終わった。合掌。(鈴)

昨日から連載を始めた「夢の文協プロジェクト」は休筆し、来週から再開します。(編集部)

2014年1月18日付

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