恩返しは世代を超えて

 70年ほど前の話だ。両親とともにブラジルに移住した少年が田舎に入植した親元を離れ、聖市に職を求めて出てきた。日本で着ていた学生服を見にまとい、街中を歩いていた。黒ずくめの学生服は目立ったのだろう。日本人のタクシー運転手がこの少年を見つけ、事情を聞いて可哀想に思い世話をした。右も左もわからぬ少年は、地獄で仏に出合ったように嬉しかったに違いない。それから十数年経て、この青年は実業家になった。家庭を持ち、それなりの生活を営めるようになった彼は、世話になったタクシーの運転手を探し出した▼そして、運転手の生活が苦しいことを知り、運転手の息子の学費を負担し続け、大学を卒業するまで面倒を見続けた。青年実業家は順調に企業を大きくし、日系コロニアでも有名になったのだが、自らこの話を口外することはなかった。1980年代にこの実業家を知る古い友人からこの話を聞いて、直接本人に確認したことがある。「昔の話だ。オヤジさんには世話になったからね」と詳しくは語ろうとしなかった▼このような恩返しの話は、日系コロニアにはいくつもある。ブラジル画壇で有名になった間部マナブ、福島近両画伯は、邦字新聞の記者をかわいがった。高級レストランやナイトクラブを連れ歩き、訪日時には必ず東京支社の記者たちにも声を掛けてくれた。その理由を聞いたことがある。「僕らはね、売れない絵描きでね。うどん一杯食えなかった時代に邦字新聞の社長たちに世話になったんだよ。その恩返しだよ」と説明してくれた▼義理人情が通じた時代だった。お互いが肩を寄せ合って助け合わなければ異郷の地で生きていけなかったのだろう。県費留学生として日本で勉強したことのある30代の2世女性は、「子どもの頃、父は休みになると県人会に出かけて行き、どうして私たちと遊んでくれないのかと不満でした」と語る。その不満を父親にぶつけたことがある。父は、ブラジルに移住できたのは県人会のおかげで、その恩返しをするために県人会活動に力を入れていると打ち明けた。キャリアウーマンの彼女は言う。「私は留学生として県人会にお世話になったので、その恩返しのつもりでできるだけお手伝いしています」。恩返しは世代を超えて続いている。(鈴)

2011年10月7日付

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