戦後71年目の証言③ 予科練で訓練受けた脇田勅さん

戦後71年目の証言③ 予科練で訓練受けた脇田勅さん
予科練出陣の際に寄贈された日章旗を手に持つ脇田さん

不屈の信念と闘志が人生に影響

戦後71年目の証言③ 予科練で訓練受けた脇田勅さん
予科練出陣の際に寄贈された日章旗を手に持つ脇田さん
 「海軍に一つの憧れがあり、今でも愛着を持っています」――。こう語るのは、1944年6月1日に第14期海軍甲種飛行予科練習生(以下、予科練)として15歳の時に四国・松山(愛媛県)の海軍航空隊に入隊し、1年3カ月間にわたって訓練を受けた経験を持つ脇田勅(ときお)さん(88、福岡)。現在はサンパウロ市内に住み、好きな読書と書道をするなどして余生を過ごしている。

 1941年12月8日、米国ハワイの真珠湾攻撃をきっかけに日本は太平洋戦争への道を突き進んで行った。戦時色が濃くなった43年8月ごろには、東宝映画「決戦の大空へ」の主題歌「若鷲の歌(俗称、予科練の歌)」が大流行。その歌を聞いた当時の少年たちは強く影響を受け、予科練に志願。特に脇田さんたちが入隊した第14期は、甲種だけで全国4万1000人と、その前後の年で最も多かったという。

 母親からは「20歳になったら徴兵されるのだから、それまでは勉強を続けるように」と言われたが、脇田さんはその言葉を振り切って志願して予科練に入隊した。松山の海軍航空隊の同期生は3000人。300人ずつの分隊に編成され、さらに各分隊は30人ずつの班に分かれて訓練を受けた。

 予科練での訓練は想像以上のもので、沖合からの遠泳で2~3キロ泳がされる基礎訓練をはじめ、物理、数学、英語などの学問のほか、航海術、砲術、通信などの軍事学を教わる。脇田さんが「今でもゾッとする」という訓練が「カッター(短艇)」と呼ばれるもので、下士官である班長が舵取りを行い、一つの艇に訓練生10人で長さ5メートルのオールを持って操舵する。同訓練では慣れないうちは手に血豆ができ、尻の皮が剥(む)けて出血するほど厳しいもの。「班長が『櫂(かい)立て』の号令をかけるのですが、当時我々はまだ15歳でそれほど力があるわけでもないのに、5メートルのオールを立てるのは至難の業でした」と脇田さん。予科練では何事も共同責任がついて回るほか、水泳でも何でも負ければ罰則(体罰)が常にあった。

 体罰は「バッター」と呼ばれる「海軍精神注入棒」でのしごきと鉄拳制裁の「ビンタ」があり、何かにつけて体罰を科され、あまりの辛さに便所で首を吊って自殺した同期生も一人いたという。

 「夜中にトイレに行きたくなるのですが、一人では怖くて行けませんでした」と脇田さんは、当時の厳しい生活を振り返る。

 入隊して3カ月が経つと適性検査が行われ、パイロット養成の「操縦」と、爆撃機に同乗して通信技術を司り敵への射撃を行う「偵察」に分けられる。脇田さんは「偵察」となり、通信技術などをさらに学んだ。

 入隊して5カ月後の同年11月1日、脇田さんたちは土佐湾防衛のための「特別陸戦隊」として、高知県の浦戸海軍航空隊に移された。このことについて現在の脇田さんは、「当時の土佐湾など海岸線は、米軍の上陸予想地の一つとして守備を固める目的で移らされたのだと思います」と推測する。

 その後、「特別陸戦隊」として土佐湾で防空壕を掘ったりする生活が続いたが、45年8月15日に同地で終戦を迎えた。

 「率直な気持ちとして、終戦の時は悔しいと思いましたね」と脇田さん。終戦直後、それまで理不尽なシゴキを強いた下士官への仕返しとして日本刀を持ちだした同期生もいたというが、そうした下士官は仕返しを見越して誰よりも早く帰郷していたそうだ。

 脇田さんは戦後、米軍基地の駐車場のアルバイトなどをしながら苦学して早稲田大学の大学院修士課程を修了。54年5月1日には親の制止を振り切り、「あめりか丸」で横浜港から単身渡伯した。戦前移民の叔母(父の妹)の娘(従兄妹)である美智枝さん(83、2世)と結婚。コチア産業組合で異例の昇進をし、信用局長、販売局長(従業員数約1000人)、事業本部長(従業員数1521人)、地方局長(従業員数約1200人)などを歴任した。50歳の時には自ら独立して養豚業などを行った。しかし、その後の事業がうまくいかず、96年から2001年までは日本で単身、露店商を行うなど苦労を重ねた。

 その間、66年には海軍出身者を集めた「ブラジル桜花会」を設立。当時は50人ぐらいいた海軍出身者も今では3人に減少し、会は成り立たなくなったという。

 脇田さんは昨年末、「波瀾(はらん)百丈 不屈の人生を貫く」という430ページに及ぶ自分史をまとめあげた。自らの人生を振り返って脇田さんは「予科練時代に身につけた不屈の信念と闘志が、その後の人生に大きな影響を与えました。晩年は苦労しましたが、金では買えない得難い心の財産になりました」と語り、穏やかな表情を見せていた。(つづく、松本浩治記者)

2016年8月18日付

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