挑戦し続ける実業家④ 様々な創意工夫を凝らして

挑戦し続ける実業家④ 様々な創意工夫を凝らして
杓田さん(37歳)と長男の努さん(10歳)。1万羽飼育養鶏場内で。1978年撮影。

 災い転じて福となす。杓田さんは除名されたことを機に、後のすべての事業成功の秘訣となった「事業を4つの柱に分割する考え方」を得たという。養鶏業における「4つの柱」とは、(1)ひよこ生産(2)飼育(3)飼料作り(4)製品販売、を指す。4つとも同じ割合で儲かると考え、杓田さんは(1)のひよこ生産は大資本を必要とするため諦めたが、(2)(3)(4)はすべて個人でできるという結論に至った。(3)の飼料工場を個人で持つという発想は当時の常識では考えられず、その業界で杓田さんは先駆者になったという。

 飼料工場開設の経緯について杓田さんは、「当時の飼料の成分の70%はトウモロコシを粉にしたものでした。原料を別々に購入し、粉砕器で砕き、スコップで混ぜ合わせて特製飼料を作りました。その後、成分比率を調べた結果、自分でできそうだったので飼料工場を造りました」と話す。

挑戦し続ける実業家④ 様々な創意工夫を凝らして
飼料工場を背に杓田さん(31歳、右)と飼料会社の営業マン。1972年撮影。(ともに提供写真)
 ひよこと飼料を確保することに成功した杓田さんは、飼料生産で生み出した利益をもとに屠殺場の建設へと踏み切った。杓田さんは「組合ではなく、個人で屠殺場を建設するというのは当時の常識では考えられないことでした。建設のため必要とされる法的な書類を作成することが、ポルトガル語堪能で法的な知識も豊富な衛生局員でもない限り、かなり難しかったからです。膨大な手間がかかりました」と回想する。

 屠殺場建設の理由について杓田さんは「販売網拡大のためです。生きた鶏を販売する場合、販売網がどうしても近隣の町に限られてしまう。しかし、屠殺した鶏は全伯中に出荷し、販売することができる」と説明した。

 杓田さんは競争相手に競り勝つため、様々な創意工夫を凝らしたという。自社製品に関しては、鶏の羽毛を60度の熱湯でむしり取るという業界の常識を破り、80度でむしり取った。80度の場合、屠殺処理後に肉の表面が良い色になる反面、羽毛だけでなく皮も剥がれてしまう欠点があった。その欠点をなくすために杓田さんは、羽毛をむしるためのゴムを調整した。ほんの少しだけ鶏にかすれる程度にすることで、80度の状態で羽毛だけをむしることに成功した。

 売り込みの際にも差別化を図った。掃除をしている店主の目を盗み、商品が目立つように、ショーケースの中で他社の商品を少しだけ横にずらした。そんな事情を知らない肉屋の店主には「なぜか知らんが、お前の鶏はよく売れる」と大好評だったという。

 その後、屠殺場を兄に任せ、杓田さんは生きたまま鶏をアビコラ(地鶏や鶏をその場で絞めて販売する店)に販売する業務に力を入れた。人生、山あれば谷あり。谷(困難)にぶつかった時の対処方として杓田さんは「相手の規模に応じて打ち崩すための作戦を組み立て、かつ実行すること。どこから始めてどこで終わるか、何事に置いても作戦の始点と終点を間違えなければ相手に負けることはない」と極意を話す。

 杓田さんは38歳の時、仕事の関係でオザスコ市長と敵対したという。ある日の早朝、杓田さんは電話の呼び出し音で目が覚めた。受話器を取ると、鶏の販売先であるアビコラの店主が「店にオザスコ市から販売禁止(営業禁止)を知らせる貼り紙がされている。自分以外の販売店でも同様の貼り紙がされている。一体、どうすればいいか」と困惑した声で話したという。(つづく、羽田和正記者)

2016月3月30日付

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