日・韓・伯の混成が「私」㊦ 「全ての文化の美しさを学びたい」

日・韓・伯の混成が「私」㊦ 「全ての文化の美しさを学びたい」
現在の明美さん(本人提供写真)

 日本人の父と韓国人の母を持ち、15歳の時から自分のアイデンティティーの悩みを抱え続けた明美さん(38、2世)。2005年、当時26歳で兵庫県の県費研修生として訪日し、専門学校アートカレッジ神戸でデザインを学んだ。

 ここでも「私は日本人だとは感じなかった」という。ハグ(抱擁)やキス、握手も少ない日本人独特の接し方、気軽に誰とでも何気ない会話をすることもなく、食事の作法、礼儀の重んじ方、座り方、あらゆるところが自分は一体何者なのかを悩ませた。

 今度は、同年の末に韓国を訪れるも、親族から律儀な態度が「日本人的すぎる」と言われ、また容姿についても必要以上に痩せるよう迫られ、韓国の文化にも馴染める気がしなかったという。

 日本での研修中、明美さんはニュージーランド人の男性と付き合った。「ある意味、どこにも属さないのではないかと思った」と話す彼女は、この時、無意識に自らのルーツから逃避しようとしていたのかもしれない。

 明美さんが決定的に変わったと話すのは県費研修後、2006年にリオ・デ・ジャネイロ市に移ってからだ。装身具類(ジュエリー)の大手企業「H・Stern」で働き、リオ市に暮らす多くの外国人の友達ができた。

 さらに、演劇教室に通い始めたことが大きかったと振り返る。四肢を畳んで縮こまって「種」を演じ、大きく四肢を広げて「樹」を演じるという、演劇の最も基礎的な練習から始めた。

 「姉がその時見に来て、『あなたほど恥ずかしがる樹は見たことないわ』と言ったけど、自分では全く気づいていなかった」「それから初めて私は人生に対して心を開くようになったの」と微笑む。

 「日焼けをして肌が白くなくてもいい、痩せすぎなくてもいい」ことはブラジルの美意識から学び、一方、「歩み寄り、相手の立場でものを考えること」は日本から学んだという。

 「考えすぎると言われるけど、それは(勉強家だった)父から学んだこと。ブラジル人にはなかなか理解できないかもしれないけど」と朗らかに語る。

 「多くのアジア系の子孫が(アイデンティティーに)苦悩し、米国などに渡り、国際的だと誇り、自分のルーツを否定してしまうが、私はそうではない。自分のルーツとなる全ての文化の美しさを学びたい」と話す明美さんは、「私であり、私自身であり、一人の人間であること」、日・韓・伯のルーツが混成する自分自身を誇りに思えるようになった。現在は自身の装身具類の事業を営む傍ら、和太鼓のグループにも所属し、韓国系社会の文化活動にも協力している。

 「美容整形をして(自分のアジア人としての容姿を)変えることはできる。ただ、私は自分のルーツが産んだ自然な姿を大切にしたい」と話し、「人種差別にしてもそう。みんな偏見は持たないと言っても目の前に現れると引いてしまう。私は人を人間として見る」と話す。偏見がある人は未だにいて、本当の意味で「(日・韓・伯の)ルーツを持つことの苦闘は終わらないけど、夢はもっと違った文化も知ること、混ざり合うところを見てみたい」と話し、「『パートナーと半分でも分かりあえれば良しとする』というのが父の教えなの」と明美さんは明るく笑った。(おわり)

2017年8月26日付

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password