日本で活躍する日系人経営者(01) 斎藤 俊男 社長

斎藤 俊男 社長

不撓不屈の事業家精神で埼玉県の『ネギ王』に
「ブラジル人学校」などボランティアでも絶大な貢献
ティー・エス・グループ 斎藤 俊男 社長

2013年6月現在、在日日系ブラジル人は18万人(ピーク時30万人超)、内11万3000人が日本の永住権を取得し、ブラジルから日本への就労が始まって25年が経過した。この中で、2世としてブラジルで生まれ22歳で日本に移住して以来、不撓不屈の事業家魂を24年間にわたり貫き抜き通している経営者がティー・エス・グループ(本社・埼玉県)社長の斎藤俊男だ。

 その斎藤が1代で築いたティー・エス・グループはいま、埼玉県上里町に本社を置き、1990年設立の人材派遣事業の株式会社ティー・エス(200人の派遣社員を擁して、自動車部品、IT、電気などの製造と組立の請負)、2009年に設立した貿易と海外事業を行うタイ法人のティー・エス・タイランド(タイでは食品会社とチーズパンを生産する工場を持ち1日1万個を販売、タイから煎餅やワサビをブラジルに輸出など)とブラジルにティー・エスアジア輸出入(主にアジア製品の輸入とブラジル産品の輸出)、11年に設立し農業事業を行うティー・エス・ファームという、人材・貿易・農業の三本柱で経営を行っている。さらに宅地やアパートなど不動産の管理と所有を行うティー・エス・ホームという不動産会社も経営している。ボランティア関係では地元上里町に学校法人ティー・エス学園とティー・エス・スポーツセンターを所有し運営している。

 幼少のころから日本文化に接していた斎藤は1990年に来日し、この年に立ち上げた人材会社のティー・エス社は今年25年目を迎えている。この 間、人材会社は2008年のリーマンショックで失業者が続出し、450人社員が80人になり、売上高16億円が3億円に減少、その後、福島の原発事故によ る放射能汚染、さらに今年2月の大雪で農業用ビニールハウスの全壊など、並の経営者なら会社経営を投げ捨ててしまうところだが、斎藤は自らの力で人生を切 り開いていく人一倍強い事業家精神を持っており、王道人生でこの難関を乗り越えた。斎藤の経営者としての持って生まれた事業センスと胆力、「決断したら成 功まで一直線に進む」という少年時代から鍛え上げた柔道家魂が斎藤を支えている。

 いまティー・エス・グループは事業の三 本柱の中に農業事業を据えている。ここに事業家としての斎藤がわかるセンスと輝きが秘められている。自ら耕す農業ビジネスに着目し商売として事業化させた のが斎藤だ。この斎藤が率いるティー・エス・グループが拠点としている埼玉県上里町一帯は、埼玉県でも代表的なネギ生産地として有名で茨城県とともに日本 一のネギ生産地として知られる。リーマンショック後、近隣の遊休農地に着目した斎藤はこの農地所有者を次々と説得し、危急存亡に陥っていたティー・エス・ グループの生き残り策として、また事業構造の多角化の一環として、ネギ生産に会社経営の重心を移した。その作付面積は30ヘクタールもあり日本でも1、2 位を争う生産規模で、埼玉県のネギ生産では県下一、育苗用のビニールハウスも1ヘクタール所有している。1日当たり1トンを生産し全量を大手スーパーに納 入している。収穫から梱包までをすべて機械化によりネギ事業を軌道に乗せた。この成功には、斎藤の人柄を反映し「農家のお年寄りが何から何まで親切に教え てくれた」ことも成功への重要なカギだった。

 今年2月にはこの自社生産している(深谷)ネギを『ネギ王』として商標登録 しブランド化した。地元上里町の町興しにも大きく貢献している。さらにブラジルのキャサバ芋(別名マンジョカ、タピオカの原料)も1ヘクタールで生産し昨 年は37トン収穫し国内市場からの反応は上々だった。これに気をよくして今年から沖縄県の石垣島で路地栽培によるキャサバ芋の種芋生産の拠点として 3000平方メートルの農地を確保し生産を開始した。

 これからの農業ビジネスは「社会に必要とされ続ける事業として、一 定のまとまった量をやっていてしかも品質がいい、同時に安全で安心、というこうした評価と信用力をさらに高めていきたい」という。今年5月には農林水産省 による3年間の助成金が出る「加工・業務用野菜生産基盤強化推進事業に係る採択者一覧」に採択された全国32業者の中で、埼玉県では唯一、しかも大部分が 農業組合の中で、ティー・エス・ファームが採択者になったがこの意味は極めて大きい。こうした公的機関の認定を契機に斎藤が今後どのような農業事業を展開 していくかも注目していきたい。

 1980年代の後半から始まったブラジルから日本への出稼ぎ時代が続いた中で、斎藤のよ うに日本の地で農業を事業化させ成功させた日系人は斎藤一人(この間に国籍はブラジルから日本に移籍)だけといわれ、稀有な商才とともに率先垂範で事業を 切り開いていくという意味でも日本にいま必要とされている経営者像の一人でもあろう。

 こうした事業家人生を歩む斎藤はビ ジネス活動以外でも出色の活躍と存在感を示している。足元のティー・エス・グループ従業員用に送迎バスや5棟50世帯分の自社アパートを新築。98年には 周辺地域に住む日系ブラジル人子弟の教育施設を設立し、コンピュータルーム、壁面プロジェクター、屋内サッカー場とバスケットコート2面を有する体育館な ども自らの手で整備した。「日本に来る前に私たち夫婦はパラナ州ロンドリーナ市で体育の教師をしていたので子供教育は損得抜きで関心が深かった。これが保 育園や学校を設立した最大の理由だ」。日系人子弟のために教育を行うティー・エス学校は2001年にブラジル教育省から教育機関として認定され、11年に は埼玉県学事課から学校法人の資格を取得した。いまも力を入れているのがこのブラジル人学校の教育だ。「生徒数60人、先生15人で、毎月数百万円の赤字 が続いており、今もすべて自分のポケットマネーで補填している、これを何とか改善したい」とこの対策で苦慮している斎藤だ。

  東日本大震災では3月11日に起こった地震発生直後の13日朝には仙台に13時間かけて到着し、トラック2台の支援物資を仙台の消防学校に運び自らも寝食 を忘れて被災地の救援活動に没頭した。ボランティア活動について斎藤は「第三者の力になってあげられることは人生最大の喜びだ、ただし仕事がうまくいって いることが大前提だ」。

 過去、事業で失敗したことはあるか、と聞いたところ、「自分の失敗で困ったことはない、すべて外 部要因によるものだった」、リーマンショック直後は「自分が稼いできた財産をすべて失ったが、幸い取引銀行がすべてにわたりバックアップしてくれた。銀行 からの信用があって本当に良かったと思っている」。

 こうした事業成功の要諦として斎藤は、「自分自身を信じること、決し て諦めないこと、常に正直であること、信用を維持すること」の4点を上げ、「特に正直と信用は極めて大切だ」という。同時に「『言ったことは守る、真剣に 常にお客様第一に考える、品質第一』、は商売には欠かせない心構えだ」と経営の原点を語る。

 斎藤の父は山形県鶴岡市出身 で15歳の時に、母は岡山県総社市出身で戦後、ブラジルに移住した。斎藤は「ブラジルで生まれた時から日本式の教育を教えてくれた両親にはいまでも感謝し ている、日本に来てからもブラジル生まれのハンディキャップを感じたことはなかった」と8人兄弟の末っ子でたくましく育った。パラナ州北パラナで1967 年10月に生まれ、趣味は幼少時からの柔道で苦しい時もこの柔道人生が斎藤を支えてきた。

 来日理由は「本場の柔道を学ぶ、両親の故郷である日本を知りたかったこと」で、この時に恋人だった富美子と結婚し生活基盤を固め万全を期して夫婦で来日したのである。

  現在、埼玉県親善大使、埼玉県知事認定の多文化共生キーパーソン、の公職を持ち、日本国籍も取得している斎藤は最後にこう結んだ。「ブラジルは生まれ故郷 で私にとって大切な国だが、いまはそれ以上に私の故郷は日本になっている、日本国籍も既に取得しており、妻も子供も住んでいる、ここ上里町と日本が私たち 家族の故郷になっている」。斎藤が日本に来てから25年目だが、いまなおブラジルの国づくりが遅れていることがそのまま日本への信認にもつながる。斎藤は こう言いつつ在日ブラジル人のために寸暇を惜しんでボランティア活動に努めている。ブラジルと日本にとっては、日本でゼロから確かな事業を築き上げさらな る高みに挑戦している剛毅な快男児である事業家の斎藤は、社会貢献活動を含めて、日伯間には欠かせない、頼りになる在日日系ブラジル人社会のリーダーの一 人になっている。(敬称略、筆者=カンノエージェンシー代表・菅野英明)

2014年10月7日付

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