日本人移民とフロリッパ㊤ 一人の漁師に始まる同地移民の歴史 日系社会はカタリネンセ協会軸に活動

日本人移民とフロリッパ㊤ 一人の漁師に始まる同地移民の歴史 日系社会はカタリネンセ協会軸に活動
オダさん一家(提供=ニッポ・カタリネンセ協会)
日本人移民とフロリッパ㊤ 一人の漁師に始まる同地移民の歴史 日系社会はカタリネンセ協会軸に活動
エルシリオ・ルース橋を背後に写る宮原さん(1960年代、提供=ニッポ・カタリネンセ協会)

 サンタ・カタリーナ州フロリアノポリス市の日系社会は、1956年に日本人移民1家族の転住により始まる。同市を含むサンタ・カタリーナ島の発展に、日本人移民が大きく貢献してきていることは、あまり知られていない。現在はニッポ・カタリネンセ協会(篠原ロシャーナ会長)、ニッポ・クルトゥーラ(金親寿恵代表)などの日系団体が活動を展開している。今年で35周年の節目を迎えた。同市・同島での日本人移民の活躍、日系社会の現状を、長年見続けてきた関係者に聞いた。

 同市の日本人移民の歴史は、戦後の1956年にオダ・ノボルさん一家がサンパウロ(聖)州から転住したことに始まる。同年にサンタ・カタリーナ島南東部(同市郊外)のプライア・ダ・アルマソンに到着したオダさんは、漁師として働いていた。
 当時のアルマソンでは網で漁業をする習慣が無く、鯨(くじら)の油を獲る漁が盛んだったという。オダさんによる網漁の導入で、同地の漁獲量が大きく向上し、地域経済の発展に大きく貢献した。オダさんの貢献を称える同地では、「オダ・ノボル街(Rua Noboru Oda)」としてオダさんの名前を冠した道が残されている。
 現地メディアの記録によると、同地域は茅葺(かやぶ)き屋根の家屋が並んでいたが、オダさんがもたらした網漁により、石積みの家屋の街並みへと変わったそうだ。
 同市で日本文化継承活動を行う日系団体ニッポ・クルトゥーラ(金親寿恵代表)が2008年に制作した記録映像の中で、オダ家の子孫らが「当時のこの地域は貧しい人が多く、誰も何も持っていなかった」と語っており、同市内も同様に現在のような都市景観は皆無だった。
 59年にはコチア青年の宮原健一郎さん(故人、鹿児島、1次7回)がサンパウロから転住し、同市内の中央市場で果実・野菜販売を始め、57年に同市に到着した森口家がセントロ区で飲食店「NIPPON Lanchonete」を構えるなど、徐々に日本人移住者の存在感が増していった。
 82年に同市に転住した高杉フェルナンド豊さん(74、2世)は「フロリッパは、日本人が本当に少なかった。セントロを歩くと、(自身の)子どもを指差して『ジャポネス』と言われるくらい珍しかった。今では考えられないくらいだ」と印象的なエピソードを語り、「昔は保証人がいないと、お金があっても家を借りられなかった。色んな人に保証人を頼まれましたよ」と笑う。
 徐々に日本人移住者が増加していた83年11月6日、聖州から同市へと移ってきたという西川誠司さん(故人)が「街でも日本人会を創らなければ」という使命感に駆られ、ニッポ・カタリネンセ協会創設に踏み切る。 しかし、創設に当たって「日本文化が好きな人たちが交流するための会」という考え方で発足し、西川さんが唯一の日本人として初代会長を務めた。(戸)(つづく)

2018年12月18日付

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