日本人移民とフロリッパ㊥ 人口増加で協会、市街も発展

日本人移民とフロリッパ㊥ 人口増加で協会、市街も発展
協会内の会議の様子(1985年、提供=ニッポ・カタリネンセ協会)
日本人移民とフロリッパ㊥ 人口増加で協会、市街も発展
高層ビルが立ち並ぶフロリアノポリス市北部の海岸沿い

 1983年に一人の日本人によって創設されたニッポ・カタリネンセ協会は、通常の日本人会とは規則の発足経緯も異なる面白い団体だ。

 同会発足から半年が経過した頃に入会した高杉フェルナンド豊元会長(2代目)によると、当初は会員が集まらず、「会員で交流しなければ意味が無いのに」と頭を抱えたそうだ。84年頃、「会員同士の寄合(よりあい)」としてシュラスコを企画し、第1回に約60人が集まったという。無論、殆どがブラジル人で、シュラスコでは日本文化普及という本来の目的に見合わなかった。

 それでも、寄合が功を奏したと高杉元会長は振り返る。「寄合によって知り合いが増えて、田舎の植民地との連携が取れるようになったのは大きかった」と同州内移住地の日本人会と互いの状況を把握し、総領事館との連携も持つようになった。

 また、同協会の西川誠司初代会長(故人)と、ブラジル青森県人会が協力し、同県と同州が姉妹提携を結んだ。「日本サンタカタリーナ協会」という名で交流が行われ、同州からの研修生派遣も行われていた。高度成長期の好景気に沸く日本では、研修生1人に通訳が付くほどの好待遇だったという。

 同市の日系人口は、同州各地の移住地から同市場に野菜を売りに来る日本人や、サンタ・カタリーナ連邦大学、同州立大学などに学びに来る学生が移り住むことで増加していく。

日本人移民とフロリッパ㊥ 人口増加で協会、市街も発展
日本サンタカタリーナ協会発足当時(提供=ニッポ・カタリネンセ協会)

 同市全体としても、人口が年々増加し、約20年前から北部海岸沿いの開発が急速に進んできた。高杉元会長は「セントロは昔のままだが、ベイラ・マール(同市北部の海岸沿い)はビルが4つくらいしかなかった」と、高層住宅が建ち並ぶ現在との違いを強調する。

 日系人口の増加につれ、同州で30店舗以上を誇る衣料品店「MAKENJI」を経営する入江マリオ・ケンジさんのような成功者も出てきている。

 ニッポ・カタリネンセ協会の現在の会員数は約300家族。全伯で見ても、サンパウロやパラナ、パラーなど日系人が多い地域を除くと、会員数では多い方だ。頃末聖治副会長(70、2世)によると、会員の9割以上がブラジル人で、1世はほんの数人ほどだといい、発足当時から「ブラジル人との交流を目的にした会」という基本姿勢は同じだ。(戸)(つづく)

2018年12月19日付

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