日系社会の遺産調査⑳ 東洋街の玄関口「リベルダーデ広場」

日系社会の遺産調査⑳ 東洋街の玄関口「リベルダーデ広場」
リベルダーデ広場(2018年5月25日撮影)
日系社会の遺産調査⑳ 東洋街の玄関口「リベルダーデ広場」
水本毅像(2018年5月25日撮影)

 サンパウロ市リベルダーデ区、東洋街の玄関口「リベルダーデ広場」は、日本人移民の商店を中心に拡大し、日本人街として発展してきた同区の、日本人街のシンボルとしての役目を果たしてきた。

 長年、日系社会の年間行事の多くが同広場を会場に用い、毎年大晦日の「餅つき祭り」、7月には「七夕祭り」、12月には「東洋祭り」、毎週末には1975年から始まった東洋市(旧東洋民芸市)などが開催されてきた。

 当初は日本人の店が大半を占めたが、90年代以降、中国人、韓国人移住者が急増し、東洋人街へと姿を変えていった。

 68年、地下鉄南北線の6年間をかけた施工が始まり、同広場は掘り返された。同広場にあった石灯籠(現ラルゴ・ダ・ポルボラ)は移設の憂き目にあった。翌69年には、聖市が同区を「東洋街」とする政令を定め、同年から東洋祭りが始まった。74年2月17日、地下鉄リベルダーデ駅が落成し、東洋街の玄関口になっている。

 同広場の中心には、リベルダーデ商工会(現リベルダーデ文化福祉協会、ACAL)の2代目会長を務め、東洋文化会館(現東洋会館)建設を推し進めた水本毅(故人)氏の像が建立されている。

日系社会の遺産調査⑳ 東洋街の玄関口「リベルダーデ広場」
東洋祭り(例年12月)

 「日本人街の象徴に『日本』の名を付けて残したい」とACALが同広場の改称を市に申請し、昨年11月から聖市政側と日系団体代表者の会合で「東洋街の活性化」プロジェクトの一部として協議されてきた。同プロジェクトの資金を日系団体側が集めることを条件に、同広場の改称が聖市議会で受理され、今年7月18日に「日本リベルダーデ広場(Praça da Liberdade-Japão)」に改名されることが決定した。(この項おわり)

2018年9月14日付

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