日系社会の遺産調査㉘

日系社会の遺産調査(28)
(右から)福原八郎胸像(2018年9月14日撮影)、武藤山治胸像(2018年9月14日撮影)

トメアスー向き合う功労者の胸像

◆福原八郎胸像

 パラー州トメアスー市クアトロ・ボッカス地区にあるトメアスー総合農業協同組合(CAMTA)敷地内(Av Dionisio Bentes, S/N)に、福原八郎胸像は1954年のトメアスー開拓25周年記念時に、当時のトメアスー産業組合によって建立され、管理はCAMTAが行っている。

 福原八郎は1923年、ブラジル連邦下院に黄色人種制限法案が提出されたことを契機に、日本人移民がサンパウロ州に集中していることで、自然の厳しい地域への移民創出を考案。鐘ヶ淵紡績(現カネボウ)株式会社の支援によるアマゾン調査団団長として同州アカラー河沿岸を移住地(現トメアスー移住地)に選定し、同州知事から50万町歩の無償提供と同移住地他3カ所の土地権利を得た。その後、南米拓殖会社の社長に就任し、第1回アマゾン移民を送り出した。

   ◎   ◎

◆武藤山治胸像

 ディオニシオ・ベンテス通りを挟んで向かい側のトメアスー文化農業振興協会(ACTA)敷地内には、武藤山治胸像が安置されている。

 胸像は1964年のトメアスー開拓35周年記念時に、トメアスー産業組合(CAMTA=現トメアスー総合農業協同組合)、鐘淵紡績株式会社、南拓貿易株式会社の三者によって、武藤の偉業を称えて建立され、管理はACTAが行っている。

 武藤山治は、米国渡航後の1887年に新聞社「ジャパン・ガゼット」などに勤務した後、94年に鐘ヶ淵紡績(現カネボウ)株式会社に入社。1921年に社長に就任すると、28年に設立された南米拓殖株式会社に出資し視察団を派遣してトメアスー移住地を創設した。32年には時事新報社(合併により現毎日新聞)の社長に就任した。

 2つの胸像は初期移民の貢献を後世に残すために、同地の中枢を担う2つの組織にそれぞれ建立されている。(つづく)

2018年11月1日付

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password