日系社会の遺産調査㊸ 平野運平広場で行方不明の平野運平胸像

日系社会の遺産調査㊸ 平野運平広場で行方不明の平野運平胸像
平野運平胸像が置かれていた土台(2018年8月10日撮影)
日系社会の遺産調査㊸ 平野運平広場で行方不明の平野運平胸像
ウンペイ・ヒラノ広場(2018年8月10日撮影)

 サンパウロ(聖)市リベルダーデ区とカンブシー区にまたがるエスタード通り沿いのウンペイ・ヒラノ広場(Praça Umpei Hirano)内に設置されていた平野運平胸像は、現在土台のみが残された状態になっている。

 平野運平氏(静岡県出身)は、東京外国語大学卒業後、1908年に第1回ブラジル日本移民(笠戸丸移民)の通訳として渡伯。後に現地日本人移民の有志を募り、現在のカフェランジアに平野植民地を開設した。マラリアで19年2月6日に34歳で亡くなった。

 胸像は、75年の平野植民地入植60周年祭の頃に建立され、76年8月に聖市に寄贈されて同広場にて除幕式が行われた。しかし、胸像の管理者不在により、83年に「シネ・ジョイア」があったリベルダーデ区のカルロス・ゴメス広場に移され、リベルダーデ商工会(現・同文化福祉協会)が管理していた時期もあった。

 98年、同広場を鉄柵が覆い、静岡県人会、カフェランジア日本人会が協力して桜の植樹や清掃を行い、信頼できるブラジル人に管理人を任せて、胸像は同広場に戻された。

日系社会の遺産調査㊸ 平野運平広場で行方不明の平野運平胸像
設置されていた当時の平野運平胸像(砂古さん提供)

 2001年頃、バス専用道路フラ・フィーラの建設に伴う橋の設置工事で同広場が資材置き場になり、聖市が静岡県人会やカフェランジア日本人会に連絡しないまま胸像を撤去。静岡県人会と平野移住地の間でどちらが対策を取るかの見合いが続いた後、東京外大OB会が後輩として協力を申し出るなどの動きがあり、一旦は同広場に戻されている。現場を確認に行った同大OBで画家の砂古(すなご)友久さん(89、佐賀)が胸像が戻されているのを確認し、写真に収めている。

 その後、胸像は台座から消え(時期不定)、行方不明の状態になっている。

 土台には、平野氏が平野移住地を創設したことや、75年8月3日に建立された旨が刻まれたプレートが残っている。(つづく)

2018年11月30日付

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