日系社会の遺産調査㊻㊤ トメアスー再建の要だった「ジュース工場」

日系社会の遺産調査㊻㊤ トメアスー再建の要だった「ジュース工場」
開設当初からの工場棟(2018年9月14日撮影)
日系社会の遺産調査㊻㊤ トメアスー再建の要だった「ジュース工場」
2000年に新設された工場棟(2018年9月14日撮影)

 パラー州トメアスー市クアトロ・ボッカス地区にあるトメアスー総合農業協同組合(CAMTA)が運営するジュース工場は1987年、同地再建のために開設された。

 戦後、ピメンタ(胡椒)の価格高騰によるバブル景気に沸いた同地は、60年代にピメンタ病害が蔓延し、農産物の多角化に政策転換を迫られた。カカオやゴムなどの永年作物に加え、マラクジャやメロンなどの熱帯果樹栽培に着手した。しかし、70年代末に起きたオイル・ショックに端を発した農作物の価格下落や、日本政府の農業融資削減などにより、CAMTAの経営が悪化していった。

 84年には、自立での再建が不可能との見通しが臨時総会でまとまり、コチア産業組合との合併など再建への道を模索したものの実現せず、国際協力事業団(現JICA)主導のもと、CAMTA、トメアスー農業振興協会(ASFATA)、トメアスー文化協会らで再建委員会を設置し、草案が作成され、同事業団本部に提出された。

 同地再建に向けて日本政府は、複数の再建事業に特別対策助成金交付を決定。その一翼を担ったのがマラクジャ・ジュース工場だった。87年、20トン製造可能なジュース工場としてASFATAとCAMTAの共同経営で始まったが、直後にピメンタの価格が再度下落。ブラジル政府の経済政策も拍車をかけ、高度経済成長期の日本へのデカセギ・ブームも起こった。ジュース工場は人材・材料確保のための支援を同州政府に打診し、同州の金融機関からの農業融資に漕ぎつけたが、ハイパーインフレによって返済額が膨れ上がる結果となった。

 これを機に、CAMTAはあくまでピメンタ中心だった運営から、ジュース工場による熱帯果実加工業中心の運営に舵を切ったが、脱退者が相次ぐなど、停滞の一途を辿っていた。

 その後、同州政府と日本政府、同地農業者らが連携して行われた電気事業を売却し、ジュース工場の新棟建設に乗り出した。(つづく)

2018年12月5日付

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