特別寄稿 本能的 遠距離介護㉘

魔法の言葉は何ですか? 本能寺 逢休

本能的 遠距離介護㉘
独り暮らしの母が、孤独の心境を吐露した詩。母の脳内に響く言葉を探すのは、謎解きの要素満載

今年も残すところ、あとわずか。年末年始は世の中の慌ただしい雰囲気を本能的に察知するのか、認知症の高齢者も、普段は見せない不思議な言動を取ることがあります。
 2013年の年の瀬、妻と2人で帰省し、夜中にリビングでテレビを見ていると、隣室のふすまが音もなく開き、寝ていたはずの母がにょっきりと首を出しました。
 まぶたは腫れ上がり、口元は硬く、乱れた白髪が何本も顔にかかっています。小さい頃、絵本で見た、やまんばのような鬼気迫る表情です。
 「ごめんなさい。テレビの音、大きかった?」
 妻が、慌ててテレビのリモコンを探します。次の瞬間、母は白髪をぼりぼりとかきむしり始めました。
 「どうしよう。私、えらいことしてしもうた」
 大金を騙し取られたのか、万引きをしてしまったのか。まさか、人を……。最悪の想定が頭の中を巡ります。
 「お歳暮のお返しをしたかどうか思い出せない」
 椅子から滑り落ちそうになりました。
 「明日考えよう」「おそらく届いてるって」「届いてなかったら、連絡が来るって」「そんなん、大した問題ちゃうやん」
 手を替え品を替え、なだめようとしましたが、母は「どうしよう」と言いながら、頭をかきむしるばかり。
 私と妻の言葉は耳に入っていない様子です。こんな些細なことで死活問題のように思い悩むなんて。覚めた思いで、半狂乱の母を眺めているうちに、ふと閃きました。
 母が必要としているのは、悩むほどのことではないという保証ではなく、頭の中の問題を解決してくれる具体的な方法なのだと。
 母の正面に回り込み、笑顔で語りかけました。
 「わかった。明日、全員に電話で聞いてみる。届いていなかったら、代わりに送っとくわ。それで問題は解決、心配しなくても大丈夫やで」
 この一言で、母は、ぴたりと落ち着きを取り戻しました。
 「そう? お願いしていい? いやー、一時はどうなるかと思ったわ」
 母は笑顔でふすまの向こうに消えていきました。
 「こっちで代わりにやっておくから大丈夫」
 この言葉は、母が脳内で架空のトラブルを作り出すたびに、一発で問題を解決し、母を落ち着かせる魔法の言葉になりました。
 母の苦手なスケジュール管理でも、大きな力を発揮しました。ボランティアと言いくるめられて通っていたデイサービスと、マンション自治会の草引きが、同じ日に重なったことがありました。
 時間がずれていたので掛け持ちは十分に可能でしたが、母はダブルブッキングと勘違い。「草引きは住民の義務なので休めない。ボランティアをキャンセルしなくては」と大騒ぎを始めました。
 脳内の時間の最小単位が、日付になっていたので、1日に2件の用事をこなせるという発想がなかったようです。
 「わかった。代わりにキャンセルの電話を入れとくわ。もう心配いらんで」
 母の凍り付いた表情が一気に溶け出しました。
 もちろん、実際には電話はかける振りをしただけです。当日、母が草引きから帰ってきたところで、何食わぬ顔で「今からボランティアやで」と声をかけました。
 「あれっ、そうやったっけ?」。案の定、母は前日のやりとりをきれいさっぱり忘れていました。大慌てで着替えを済ませると、マンションのエントランスに走っていきました。
 代わりにやっておくので大丈夫――。これは多くの認知症高齢者に共通する魔法の言葉です。ほかにも、特定の高齢者にだけ通用する魔法もあります。
神道の熱心な信者である母の場合は「方位」でした。運気を呼び込む方位と運気を下げる方位が年や月ごとに変わるという信仰です。「九星気学」に基づくもので、暦にも採用されています。
母が独り暮らしを続けられなくなり、入居する介護施設を決める際にも、「方位」を魔法の言葉として活用しました。
 「いい方位の場所を選んだから大丈夫やで」
 母はその一言ですっかり安心しきっていました。下見をしても記憶を保持できない。自分の希望条件すらわからない。そんな状態でしたが、「方位」の信仰だけは残っていました。方位さえ良ければいい施設に違いない。そう信じていたようです。
 魔法の言葉は、家庭や職場環境、思想信条によっても違いが出るものです。あなたの親にとっての魔法の言葉は何ですか?(つづく)

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