東洋市40年リベルダーデの発展と支えた人たち③

東洋市40年リベルダーデの発展と支えた人たち③
東洋街落成祭り当日、すずらん灯の下でリベルダーデ音頭を踊る婦人たち(ガルボン・ブエノ街)(1974年11月14日付本紙)

市と共に「東洋区」盛り上げ

1971年10月6日付の本紙は「売上げガタ落ち 地下鉄工事に泣く商店街」の見出しで苦境を伝えている。

リベルダーデ広場からサンジョアキン駅手前までのリベルダーデ通り。「店の前は掘り返され、雨が降るとドロンコ道」「店の前の歩道は地下鉄工事のためけずられ、一・二〇メートルの狭さ。そのうえ囲いが出来たりしてお客も敬遠する始末で、店やスーぺルメルカード、バールなどのモービメントはがた落ちとなっている。地下鉄工事は大体二年はつづくだろうという予想で、こんな状態でいるよりもと、早くも移転をはじめている商店もある」。

通りから坂を下る街路も「雨が降るとアスファルト道路を泥が流れこみ、晴れればポエラが舞い上がるという有様」。人出は大きく減り、界隈の約300件の商店やレストラン等の売上げは2割から8割までの減少という状況だったようだ。

リベルダーデの風景が大きく変わる中、商店主たちも新たな「東洋区」を盛り上げるため力を注いだ。大阪橋のすぐ脇に日本庭園を造成。74年1月、旧商店主親睦会を母体にリベルダーデ商工会が発足し、水本毅氏が初代会長に就いた。同じ時期、今ではリベルダーデのシンボルとして知られる大鳥居が建設され、三つ巴模様の歩道に沿って150基の「鈴蘭(すずらん)灯」が設置される。市も新たな観光地区整備のため、大きく予算を配分した。

74年の終わりに東洋街の第1期工事が終了し、11月9日夕方から落成祭りがガルボン街で催された。弓場バレエの少年少女が神輿(みこし)を担いで街路を練り歩き、計450個のすずらん灯に点灯。婦人ら400人による「リベルダーデ音頭」や、花笠踊りや盆踊りで盛り上げた。

ラウド・ナテル州知事、ミゲル・コラスオノ市長も来訪。当時の本紙記事によれば3万人が訪れ、東洋街の出発を祝ったという。新たなリベルダーデの町並みは、同年の区対抗街頭装飾コンクールで特別賞に選ばれた。

東洋街の玄関口、リベルダーデ駅に地下鉄線が開通したのは翌75年2月17日。開通式には知事、市長が同駅で下車し、商工会は福引きを催して晴れの日を盛り上げた。広場を埋めた人だかりの写真が、当時の期待の大きさをうかがわせる。

その約7カ月後、日曜日の広場に露店が並んだ。「東洋市」の始まりだ。水本氏ら商工会関係者とコラスオノ市長・行政の協力で生まれたこの催しが、週末のリベルダーデの風景を変える。(つづく、松田正生記者)

2015年8月26日付

東洋市40年リベルダーデの発展と支えた人たち③
祭りを訪れたナテル知事(中央)、コラスオノ市長(右)ら来賓(同日付)
東洋市40年リベルダーデの発展と支えた人たち③
地下鉄リベルダーデ駅の開通式。広場を来訪者が埋めた(75年2月18日付)

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