東洋市40年リベルダーデの発展と支えた人たち(終)

東洋市40年リベルダーデの発展と支えた人たち(終)
30年近く世話役を務めた隅本さん(右)。出店39年になるハダノさんと

出店者みなで育てたフェイラ

 1975年の開設以来、リベルダーデ商工会が市役所とともに運営に携わってきた東洋市(フェイラ・オリエンタル)。2000年代に入って出店者の協会が組織され、現在は同協会が運営を担っている。

 30年近く世話役を務めた隅本開さん(70)によれば、現在の出店数は土曜日が170、日曜日は240に上るという。今は現役を離れ、フェイラを訪れるのは午前中が中心。とはいえ、長年の経験から、今も市との交渉・会合などがあれば声がかかる。

 「普通はじっと見ているだけ」だが、「呼び出しがあればしょうがないから」。記者の質問に答えている間にも、付近の車の出入りなどスムーズな運営のため周囲に目を配る。

 良い時も悪い時もあったが、「悪口言ってもしょうがないから」。出店者間で揉めことがあっても、「喧嘩両成敗、それで終わり」とあっさり。「皆黙れ、どちらが良い悪いでなく、ゴタゴタがあればお前たちが困るんだよって」

 昔と違い、今は食べ物など部門ごとに自分たちで管理にあたる。当日のゴミは業者と契約して回収。衛生面の許可の更新、油の質は大丈夫かといったことも皆で話し合い、確認するという。隅本さんは言うそうだ。「決めたことは守れ」と。「皆のためになることだから。一人が他の人に迷惑をかけることをするな」と。

 初期のころから続ける人や、2代目3代目の店もある。「昔よりも働いている人が自覚しているから、これ(東洋市)が大切なものだと。長くやりたいから一生懸命にやっていますよ」
 長年路上から東洋街の変遷を見てきた。「いつまでもいるわけじゃないから、代わる人を作らんとね」。取材が一息つき、周りを見ると、いつもの週末の人だかりになりつつあった。「これがなければ、ショボンとしていただろうね」と隅本さん。「今では日曜日のサンパウロで一番活気がある場所。こんなになるとは夢にも思わなかったけど、水本(毅)さん(リベルダーデ商工会長)は先見の明があったと思いますよ」

 広場の一角に水本氏の銅像(首像)が建つ。リベルダーデ・ロータリーが初代会長の同氏を顕彰して95年に設置したものだ。東洋市の時は屋台の後ろ側になる目立たない場所。そこから、自身が情熱を注いだ東洋街の今を見つめているようにも見える。

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 「店は50あるかないか。食べ物も今の半分ぐらいでしたね」。開設翌年の76年から盆栽の店を出しているハダノ・ネルソンさん(55、2世)は当時を振り返る。農業移民の祖父が父ケンタロウ氏と、日本で身につけた盆栽を始めたのが60年ごろ。盆栽を商売にする人が少なかった60年代からセアザで販売し、現在は東洋市での販売、卸が中心だ。ネルソンさんも16歳から父と店頭に立った。

 昔と違って盆栽の知名度が上がり、「今はやる人も増えて、たいがいの人が分かるから、売上げも良くなりましたね」。購入する人の9割は日系でないブラジル人という。取材中に携帯電話が鳴った。後で聞くと、北東伯リオ・グランデ・ド・ノルテ州からの注文だった。

 今年で39年。「日曜に来たら大雨で、そのまま帰ったこと」もあったが、「しょうがないね」とネルソンさん。今も毎週日曜は仕事をし、月曜に休む。「いつも変わったお客さんが来るから楽しいですよ」と話していた。

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 「いろいろあったよ」。吉村嘉江さん(79、2世)は花と観葉植物を売って今年で35年。次々と訪れる客に応対しながら、明るく話す。

東洋市40年リベルダーデの発展と支えた人たち(終)
吉村嘉江さん。35年続ける自身の店で

 母親が東洋市開設のころから人形を売り、後に吉村さんが一人で花の屋台を始めた。その以前は野菜作り。「花のこと何も知らなくて。運転もしきらんでね。道に迷ったり、事故したこともあった」という。

 「花の名前を覚えるのに苦労したけど、お陰さんで(花は)初めからよくできて」。車の幅ほどの小さな店から始め、5人の子を育てた。「よくやったと思いますよ」

 現在も平日は聖市南部の自宅で植物の世話をし、日曜日はリベルダーデへ。息子も店を手伝う。「今は食べるだけだから」と笑う吉村さん。「お母ちゃんのお陰ですよ」と笑顔を見せた。(終わり、松田正生記者)

2015年8月28日付

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