松本浩治『移民Ⅱ』のどこが凄いか㊤ 特別寄稿 記録映像作家・岡村淳

 私がブラジルの日本語新聞の記者さんたちと関わるようになったのは、1980年代半ばにさかのぼる。テレビドキュメンタリー『すばらしい世界旅行』「大アマゾン裸族シリーズ」で日本のお茶の間の人気を博し、サンパウロの日系社会でも名士だった故・豊臣靖ディレクターの後輩としてブラジルを取材に訪れた私は、若輩の当初から邦字紙の記事として紹介していただくことが少なくなかった。

 以来、30有余年。自らもブラジルに移住して、数多くの邦字紙記者とお付き合いをしてきたが、私を取材した記事の掲載紙を送ってきたのは、旧パウリスタ新聞の女性記者と、現在のサンパウロ新聞の松本浩治記者の二人だけである。松本さんに至っては、ご自身が担当していない記事の号まで郵送してくれている。取材とは、一方的な搾取ではなく、双方向性で還元されるべきである、という原則かつ理想を貫く、誇るべき友人である。

 しかし同じ表現者として、慣れあいと妥協は戒めなければならない。ちょうど10年前に刊行された松本さんのはじめての写真集『移民Ⅰ』に、私はあえて苦言を公にした。それを海容に受け止めてもらい、友情は決裂することがなかった。

 今回、新たに編まれた『移民Ⅱ』に接する機会をいただいた私は、心して拝見した。

 まず第一に、安心して見ることのできる写真である。被写体の人に対しても写真を見る我々に対しても、ごまかし・てらいも感じられない。

 これだけの質と量の人物写真をとらえるために、松本さんが費やした時間、動いた距離、流した汗、そして消化したセルヴェージャの量。なによりも被写体の相手と過ごした時間と会話の膨大さが、フレームの周囲からにじみ出ている。

 今日、日本はおろかブラジルでも写真を撮るという行為がメモを取ることより、はるかに安易かつ無自覚なものになってしまった。写真表現とは、写真を撮るとはどういうことなのか、基本的な意義も倫理を顧みることもなく、安易さとスピードと画質、そして扇情的な度合いばかりがメディアで、もてはやされている。

 日本の炭鉱離職者を追ってブラジルにも訪れた記録文学作家・上野英信のエピソードを想い出す。上野は晩年の全精力を『写真万葉録・筑豊』の編集に捧げた。住まいに山と積まれた炭鉱夫にまつわる写真群を、全10巻に編み上げた渾身の記録だ。この写真集を手にした読み書きも不自由な炭鉱夫たちは、これを自分の仏壇に飾ってくれと言い遺していったという。

 私たちブラジルの日本人移民は、ようやく自分たちの仏壇に飾るべき写真集を手にすることができた。それがお役所仕事ではなく、自ら移民となった松本浩治という個人の志と、彼を支える在野のメディアによって成し遂げられたことが、実にうれしい。(つづく)

2016年11月1日付け

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