次世代に継ぐ日本人移民、日系人の足跡38

自身の店の前で今津さん(2012年6月)

先人たたえるローランジャ 移民センター見守って35年 今津貞利さん

 150万人とも言われるブラジル日系人。南部のパラナ州にはその1割にあたる15万人が暮らす。そのうち約10万人が集中しているのが、ロンドリーナ、マリンガなどを中心とする北パラナ。聖州から西へ進んだ日本移民が移り住み、根を張り、国内第2の日系人コミュニティーを育ててきた。それらの先人たちをたたえる場所がロンドリーナ近郊、ローランジャの日本移民センターだ。30年以上にわたって同センターの管理を続けてきた今津貞利さん(80、福岡)は、同地に暮らして60年。パラナ日系人の『心の拠り所』を支えてきた一人だ。

◆パラナ編
ローランジャで電気機器の修理業を営む今津さん。創業57年になる町の老舗だ。

父親は当初満州移住を志していたが、町で見た「常夏の国」の宣伝に引かれブラジル移住を決めたという。一家は1933年10月に着伯。今津さんは1歳8カ月だった。

最初に入った海外興業アニューマス農場の監督、渡部万次郎氏が支配人だった縁で、40年にパラナのピリアニット植民地(現ウライ)へ入り農業を営んだ。しかし今津さんは「自分のやりたいことをしたい」と、52年に兄が写真店を営むローランジャへ移る。

「これからは電気の時代が来る」。ウライで初めて電気・水道設備を手がけた日本人の言葉に感化されたという今津さん。電気修理の修行に入り、56年に現在の店を開いた。修行先の店主からも「俺は辞めるからここに残って根を張れ」と背中を押された。

コーヒー景気に沸いていた50年代の北パラナ。「コーヒーの女王」ローランジャには30以上の精選所があり、「7、8月には精選の埃で町がかすんだ」という。好景気の中、子弟教育に情熱を注ぎ、『教育村』とも呼ばれた土地。ここに移民センターを作ったのが、日系青年の連合会「北パラナ運動連盟」だった。

同連盟は勝ち負け対立さなかの47年に創設。移民50周年事業としてアプカラナ農学校を運営していたが、71年に市へ返還。新たな活動場所を探していた。そこでローランジャ市議の本田幸政、宮村昭氏らが奔走し、地元の世話役だった山内安房氏がコロニアのためにと自身の16アルケールの土地を破格の値段で市へ売り、市から連盟へ寄付されることになった。

農事実習所を併設したセンターは74年に落成し、連盟とパラナ日伯文化連盟(現・日伯文化連合会)が運営。4年後の移民70周年に向け史料館建設などが計画された。土地取得のころから手伝っていた今津さんが管理を引き受けるのは77年。世話役の那須友行氏が病気になり、治療中の代行を頼まれたことがきっかけだった。

 「それで足を突っ込んだんですよ」。管理者としてセンターの世話、掃除、支払い、修繕など、本業の合間を縫って自宅から通う日々を続けて35年。史料館の館長は初代の橋本梧郎氏から5人目になる。

平坦な道のりではなかった。最初は州農務局との提携で各地から農業研修生を受け入れ、補助もあったが、10年で打ち切りに。それからはセンター内の畑の作 物を売って運営費に充てた。「90周年のころまでは畑の収入でやりくりできた」が、それも続かなくなり、「パラナの会員の志に頼らないといけなくなった」

「信用第一にやってきた」と今津さん。「苦労したけど、本部の理解を得て今は落ち着いている」。現在は連合会からの援助に加え、史料館への寄付やユーカリの売り上げ等で月3500レアルの経費をまかなう。ただ、予定外の出費には対応できないのが現状だ。

センターはガイゼル大統領、皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)臨席の下、挙行された70周年から10年ごとの移民祭会場になってきた。敷地内には移民の親 子像、移民小屋、パラナ開拓神社、100年祭までの記念碑、史料館、毎年の慰霊祭を行う開拓先亡者慰霊碑。パラナ日系人の歴史を伝える『心の拠り所』だ。

2001年に史料館を改修した時は日本政府の草の根資金に加え、40万レアル以上の寄付が集まったという。「ここにはパラナのコロニアの人の汗の結晶が集まっている。粗末にはできないですよ」

08年のパラナ州100周年式典は皇太子殿下、副大統領などが臨席し、7万人が訪れる最大の移民祭になった。しかし、センターに「夢」テーマパークを建設 する記念事業は残念ながら進んでいない。「将来のコロニアのため残そうという上野(アントニオ)さん(元下議、故人)の夢だったんですけどね」。同事業の ため、既にセンターの土地の一部は処分しているという。

「100周年が来た時、私個人としては、曲がり角に来ているんじゃないかと感じた」。 「心配です」と話すセンターの将来。「忘れることはないと思うが、時代とともに薄れていくんじゃないか」。今津さんは「この先の運営をどうするか、ここを 皆が忘れたら、私たち日系人の社会は崩れたと言っていいんじゃないか」と力を込める。「先祖を忘れたらどうなるか」と。

次の世代につなげたいとの思いから、昨年、連合会長に辞意を告げたが、慰留されたという。「若い人に頼みたいが、なかなか実現しないですね」。今も「ほとんど毎日行く」というセンター。今津さんは今年6月の慰霊祭でも各地の参列者を迎える準備に汗を流していた。

自身の店は57年目になる。最初は「サンパウロへ行こうかと思った時もあった」が、同郷の友人や母親の言葉に励まされ、「頑張っているうちに良くなって、 今まで来たんですよ」。「商売は毎年良いということはない。4、5年に1回ぐらい良い時期があったら満足しないとね」と微笑む。

次男が後を継いだ今も仕事への情熱は変わらない。「一生働くなら自分の好きなことをやらないと。それでおまんまが食べられたらこれは最高じゃ」と笑う。「私は今でも、夜も働きますよ。好きだからね、この仕事が」

ブラジルに住んで79年。地元文協、連合会の役員も務め、09年に旭日双光章を受勲した。今津さんは「親が好きなことをさせてくれたから、幸福だと思って います」と振り返り、次の世代に言葉を送る。「若い人にいつも言うんですよ。好きなことをやれと。自分がやりたいと思ったことを精一杯やったら、それが一 番いいんじゃないかな」(2012年6月16日ローランジャ市で取材)(松田正生記者)

2012年10月16日付

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