次世代に継ぐ日本人移民、日系人の足跡45

ぶどうが変えた北パラナ農業 技師として、俳人として半世紀 間嶋正典さん

果樹栽培の専門家としてブラジル中を回った間嶋正典さん(79、新潟)。イタリアぶどうをはじめとする各種果樹の導入・普及は北パラナの農業を変え、遠くバイアまで広がった。農業とともにあったブラジルでの生活。それはまた、俳人としてコロニア文芸と歩んだ半世紀でもあった。そして今、仲間たちと桜を植える活動に情熱を傾ける。

渡伯のきっかけは新潟大学農学部在学中。渡伯した先輩から農業技師を送ってほしいと要請があり、新聞部長の間嶋さんが紙上で呼びかけた。しかし応募はなく、「学長から行ってくれと言われてね」。「2、3年行こうか」、そんな気持ちだった。

58年6月に着伯し、聖州モジ・ダス・クルーゼスの平松薫果樹園へ。イタリアぶどうや柿、ビワ、桃など「徹底的に教えられた」という。
「ぶどうに関することなら誰にも負けない」という思いがあった。聖市の原沢商会で勤めた後、63年にコチア産組に就職。果樹専門技術員として飛び回る生活が始まる。

ロンドリーナを拠点に「国内はほとんど回った」という間嶋さん。パラー州ベレン一帯でクプアスーの病気が出た時は接ぎ木を行って対策に尽力。国内にとどまらず、ドミニカにも10年の間通い、ぶどうやアボガドの新種導入・指導を行った。「今ではフロリダの方に輸出して大もうけしていますよ」

北パラナでもぶどうをはじめ、アボガド、柿、マンゴーなど様々な果樹の導入に奔走し、同地域の果樹栽培普及に貢献した。病害の対策、新技術の導入などに加えて大きな功績として挙げられるのが、イタリアぶどう「ルビー・オクヤマ」種の育成・普及だ。

60年代の北パラナはコーヒー栽培が中心だったが、問題は霜の害だった。60年代中ごろに赴任後、最初はワイン用のぶどうを植えサンパウロへ出荷したが、これはうまくいかなかった。

イタリアぶどうの栽培は既に行われていた。間嶋さんはこの栽培技術向上のため、個人で冊子「北巴園芸」を発行し日系農家に配布した。「畑に行くより書物を渡せば後に残るし、勉強できる。良かったと思います」

「ルビー・オクヤマ」種育成の始まりは、聖州ピラール・ド・スールで少し赤いイタリアぶどうができたことだった。間嶋さんは「バスで飛んで行って」枝を譲り受け、北パラナで接ぎ木。5人に枝を分け、「赤いのが出たら、それを育てるよう」伝えた。

その一人、サンタ・マリアナ市の奥山幸太郎氏の畑で72年、霜で芽が焼けたぶどうに赤い実がついた。「それを増やして各地で栽培したんですよ」。間嶋さんは同種を77年の園芸学会で発表。「ルビー・オクヤマ」種と名付けられた。同地には「発祥の地」の記念碑が建てられている。

一時は隆盛だったぶどう栽培は、次第に大豆、小麦の大規模機械農業の時代へ移る。「今は50、100アルケールでも小さいくらい。ガラッと変わりましたね」と感慨を表す。

間嶋さんは92年にコチア産組を定年退職後、95年に農業の山本喜誉司賞を受賞、2003年秋の叙勲で旭日単光章を受けた。
200号を数えた同誌は今も大切に保管している。パラナで培われたぶどう栽培の技術はその後、農業者とともにペルナンブコやバイアへと広がった。現地で「これは皆マシマの指導だ、と言われてね」と間嶋さん。「皆さんもうけてよかった。面白かったですよ」と目を細める。

間嶋さんのもう一つの顔が俳人「間嶋稲花水」だ。
「柔 道や剣道が好きだったんですけどね。戦後マッカーサーが『やってはいけない』と。それで俳句や短歌をやるようになった」というのが始まりだという。高浜虚 子の「ホトトギス派」から派生した、生活の中で自己を見つめる「人間探求派(人生俳句)」の石田波郷に指導を受け、地元紙の新潟日報にも投句。間嶋さんが 渡伯する時、石田波郷は「同郷の先輩佐藤念腹をついで、それをしのぐ新天地の句を見せてくれ」と同紙に一文を寄せている。

渡伯当時のコ ロニア俳句は虚子門下の佐藤念腹が普及した写生俳句が中心で、「僕らの新しい俳句はほとんどなかった」と振り返る。果樹園の仕事を終えて聖市に出てから再 び作句を始め、日本の角川俳句賞で秀逸に入選。63年にはサンパウロ俳壇の選者となる。72年にブラジル俳句作家協会を設立し、初代会長に就任。機関誌 「ブラジル俳句」創刊号に掲げた言葉は、「俳句はひとつの人生哲学である」だった。

同協会・誌はそれぞれ「ブラジル俳文学会」「ブラジル俳文学」に発展し、現在まで続く。サンパウロ俳壇選者は今年で49年。2008年の移民100周年には先人と現代の俳人の句を後世に伝える合同句集「ブラジル俳句百年」をまとめあげた。

短歌の世界でも04年の歌会始に入選。訪日した際、天皇皇后両陛下に謁見した。間嶋さんは日系人のブラジル農業への貢献を紹介、天皇陛下からは「(笠戸丸移民の)中川トミさんはどうしていますか」と尋ねられ、帰国後トミさんの写真を日本へ送ったそうだ。

地元日系団体の活動にも協力した間嶋さん。100周年の時にはパラナ式典の費用を集めるため、地元の重鎮、沼田信一さん、平澤正人さんとパラナ連合会の州内72支部を回った。「どこでも皆喜んでくれた」と、約3カ月の訪問の旅を振り返る

移住して54年。「長くなったね」と話す間嶋さんが今情熱を傾けているのが、桜の植樹だ。
97年の発足以来、ロンドリーナで桜植樹を続けるパラナ平和友の会(旧・戦友会)。現在、同市の植物園内に日本公園を造る案があり、現会長の間嶋さんにも相談があるという。

「みな老兵ですからね。僕らだけでは難しいけど、できたら1000本ぐらい植えて、桜祭りもできれば」と夢を語る。「まだまだ、うっかり死ねない。頑張らないとね」と微笑んだ。(2012年4月9日ロンドリーナ市で取材)(松田正生記者)

2012年11月1日付

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