消えた空の架け橋JAL回想録⑨

パスポートと歴史の重み

JALのチャーター便運航時代に里帰りを果たした人たちの多くは戦前移民だった。彼らのほとんどは1次旅券で来伯した。しかも、現在のようなパスポートではなく、1枚の紙だった。JALサンパウロ支局の職員が回顧(1日付本連載〈5〉)したように「黄ばんだ紙切れのようなものを見せるので、最初は何を言っているのだろうと思いましたね。こんな旅券があったんだと初めて知りました」だった。

これは、この職員だけではない。サンパウロの日系旅行会社の社員も同じ思いを抱いていた。
日本への旅行を決めると、諸手続きのため旅行希望者は旅行会社の窓口へ出かけるか、自宅まで社員に来てもらうかしなければならなかった。

「驚きましたね。訪ねて行ったお宅で、家の奥からおもむろに出してきたパスポートは古い風呂敷に包まれ、風呂敷を開けると油紙に包まれ、さらにビニールの袋に入れてありました。それを開くときは厳かな気持ちになりましたよ」と振り返る。

旅行会社のカウンターでも同じような風景が日常茶飯事のことだった。おじいさんがベルトを緩め、腰に巻いた腹巻から取り出したパ
スポートや一時帰国に備えてこつこつ貯めた米ドル札が油紙にまかれていたことが多かった。

こうした光景を見続けた旅行会社社員は、折りたたまれた紙の一つひとつに歴史を感じ、それらのパスポートに刻まれたその人の歴史を感じずにはいられなかった。

「今でも覚えていることがあります。お客さんからパスポート受け取ったのですが、そのパスポートの中にびっしり書き込みがしてあったんです。恐らく、入植したときに書き記すものが何もなくてパスポートに書かざるを得なかったんでしょうね。子どもの誕生日と喜びの文章が書き込まれていましたね。何も言えなくて、ただ黙って頭を下げながらお返しするしかなかったですね」。

乗客はこれら古いパスポートを携えて、母国日本に到着する。当時は羽田空港だった。入国審査場でパスポートを提示し、入国のスタンプを押してもらうのだが、当時の入国審査官は、古いパスポートの持ち主には必ず「ご苦労様でした!」と大きな声をかけて返してくれた。

税関の係官も移住者の里帰りだと知ると何も検査せず、「お疲れさまでした」とうやうやしくパスポートを返してくれたものだった。
何十年ぶりかで郷里を満喫した人たちが、帰国前日に指定されたホテルに集まってくる。当時、預託荷物は重量制で1人20キロまで。

何十年ぶりとなると土産が多くなり、超過料金を徴収される。添乗員は「こんなものまで持ち帰らなくても」と心を鬼にして荷物の整理まで手伝っていた。

このとき、年に数人、新しいパスポートを取得しないで来る人がいた。一時旅券で帰国した人は、新たにパスポートを取得しなければならない。ブラジル出発前から何度も旅行会社の社員が説明しているのだが、夢のような故郷訪問で失念してしまうのだ。

通常、パスポートは即日発行してくれないのだが、旅行会社社員が本人を同行し、写真1枚を持参し外務省旅券課に駆け込む。戸籍謄本は後日、親戚が提出するという条件で一時旅券の発行を依頼するのだ。待つこと2時間、係官は真新しいパスポートを渡してくれた。係官も事情を知っていて、出発に支障のないよう配慮してくれていた。(つづく、鈴木雅夫)

2011年10月7日付

 

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