特別寄稿 本能的 遠距離介護⑦

見出し遠距離介護の原点 ブラジルに 本能寺 逢休

特別寄稿 本能的 遠距離介護⑦
トメアス移住地。厳しい自然環境の中で助け合って生きてきた移民の取材を通し、家族こそ社会保障の最小単位と実感

 サンパウロ新聞の読者の皆様、こんにちは。

 どうして、日本の介護の話をブラジルの邦字紙に投稿しているのか。不思議に思われた方も多いのではないでしょうか。遠距離介護の心得や技術は、国境を越えても通用する。それが一番大きいのですが、もう一つ理由があります。私の遠距離介護に取り組む原点が、南米、特にブラジルにあったからです。

 日本人移民100周年でトメアス移住地を取材したときのことです。現地で雇った運転手が、日系3世の青年でした。日本にデカセギに行き、稼ぎのいい仕事に就いていたものの、父親が病気で倒れたのを機に帰国し、同居しながら看病していると言います。

 「どうして仕事を辞めてまで帰国を?」

 そんな疑問を口にしたところ、強い口調が返ってきました。

 「当たり前じゃないですか。だって、お父さんですよ」

 私は当時、両親が健在だったこともあり、親の介護や死を身近に感じられませんでした。自分自身に余裕がなく、仕事を通じた自己実現こそ、人生の最優先事項と信じていました。日本で仕事をしながら、定期的に様子を見に帰国すればいいではないか。短絡的にそう考えてしまったのです。

 ブラジル赴任を終え、帰国から2か月後に父が70歳で急死し、直後に母が認知症を発症したとき、青年の言葉が再び、脳裏をよぎりました。

 「だって、お父さんですよ」

 家族は代えの利かない唯一無二の存在。最後に助け合えるのは家族しかいない――。青年の言葉の裏にあるメッセージを理解し、逃げずに介護に向き合う覚悟を決めることができました。

 サンパウロ州で農園を経営する日系人家族からも、大切な心得を教わりました。車椅子の1世の男性に取材したのですが、脳梗塞の後遺症からか、質問と答えがかみ合いません。奥さんの移住した年や出会った経緯を尋ねているのに、自分の出身県の思い出を語り始めるといった具合です。

 義理の娘さんが、耳元で私の質問を繰り返し、軌道修正を図ろうとしてくれるのですが、お父さんの奔放な答えは、いつもあさっての方向に飛んでいってしまいます。思わず、義理の娘さんが吹き出すと、お父さんもつられて笑い出し、見守っていた家族全員に笑顔が広がりました。

 そのとき、「いいな」と思ったのです。

 老・病・死……。四苦八苦のうちの三苦を自然に受け入れていて、老いや死に過剰に反応する現代の日本人が失ってしまった心の余裕を感じたのです。

 私の母が認知症を発症したときも、この家族のように病気や老いを笑い飛ばせるような関係を目指しました。しかし、母の場合、劣等感とプライドが複雑に絡み合っていたので、珍回答を笑うと、「馬鹿にされた」と思い込み、野生の猿のように怒りを爆発させてしまいました。

 母が、珍回答を発した自分自身を笑い飛ばし、家族で一緒に笑い合えるようになったのは、認知症を発症してから6年目。母が、自分でもボケているらしいと、自覚できるようになってからのことでした。

 相手に対する期待値を下げる――。これは南米全体で学んだことです。ビジネスをしていても、レストランで接客を受けていても、相手はこちらが思ったように動いてはくれません。約束や時間、注文を間違えたり、頼んだことをいつまでたってもやってくれなかったり……。

 当初は、トラブルのたびに怒りを爆発させていましたが、すぐに胃を痛めてしまい、自分の考え方を改めました。相手に過剰な期待を抱いているので、期待が果たされなかったときに腹が立つのだと気づいたのです。そう期待値を下げ、トラブルがあるたびに「南米だもの」と自分に言い聞かせるようになりました。

 期待値を下げるのは、介護でも役に立っています。母が、換気扇を分解して元に戻せなくなったときも、家で安静にしているように何度も念押ししたのに、薬を過剰摂取して意識がもうろうとした状態で外出し、途中で倒れてしまったときも、「だからあれほど注意したのに」という言葉を封印。「認知症だもの」。そうつぶやくことで、母に優しく接することができました。(つづく)

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2017年7月15日付

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