【移民108周年】現在も愛される「移民料理」 日本食の無い時代に創意工夫

現在も愛される「移民料理」 日本食の無い時代に創意工夫
森岡さん、片山さん、飯田さん(左から)

 今では日本食材が容易に手に入る時代となったが、かつては食材すら入手しづらい時代があった。戦前にブラジルへ移住した日本人移民は、そんな環境の中で数少ない食材で少しでも日本での食事に近くなるよう、創意工夫を凝らして料理をしていた。それは「移民料理」となり、現在でも愛され続けている。(佐久間吾朗記者)

 戦前の日本人移民や戦後すぐの移民の時代はとにかく、物が無い時代だった。ADESC(農協婦人部連合会、西村千世子会長)会員で戦前移民の片山時江さん(93、高知)、森岡和さん(96、高知)、戦前に奥地で生まれた2世の飯田正子さんらは「本当に何もない時代だった」と当時を振り返る。

 「何もない」とは正に何もない状態で、食べ物は自分たちで栽培、収穫、加工したものを食べることが基本だったという。片山さんの家ではうどんや豆腐、ちくわ、こんにゃくから番茶まですべて家で作っていたそうだ。

 日本食の主食となる白いご飯は割れ米を混ぜ、普通の米と半々にしたものを食べるのが日常的であった。「こんな飯を食べる羽目になるならブラジルになんて来るんじゃなかった」と漏らす父親の姿を片山さんは覚えていると話す。

 醤油や味噌などの調味料ももちろん手作り。しかし醤油の場合は原料となる小麦などが手に入らなかったため、各家庭で様々なものを代用し作っていた。飯田さんの家ではたくさんの野菜を煮込み、そこに焦がした砂糖を入れて色付けしたものを醤油として使用していたといい、また「トマト醤油」を作っていた家庭もあったという。これは出荷できなかったトマトを煮込み、濾(こ)した後に布で絞り、焦がした砂糖(もしくは炒ったトウモロコシ)で色付けしたものだそうで、「(これらの醤油は)美味しいか美味しくないかと聞かれたら、美味しくないけど、醤油がないからこれを使うしかなかった」と飯田さんは笑う。サンパウロ市近郊などでは醤油を手に入れることもできたようだが、当時としては高級品であり、車もバスもない田舎に住んでいたら買えたとしても持ち帰るのが困難であった。

 さらに、当時のブラジルでは野菜類は豊富ではなく、しゃくし菜や野生のからし菜、蓮芋の茎の皮やピメンタの葉を野菜の代わりに使用していた。炒めたり、煮たり、おひたしにするなど同じ食材を使うにしても調理方法を工夫し、保存の際は味噌漬けや塩漬けにしていた。

 反面、干し肉やバカリャウ(タラの塩漬け)、イワシの缶詰などは豊富にあり、比較的安価だったため食卓に並ぶことは珍しくなかった。当時の3食の献立は朝食にコーヒーと自家製のパンを食べる以外は、昼と夜はご飯と味噌汁(またはフェイジョン)、干し魚、漬物を食べる、毎日かわり映えのしない食事が続いたそうだ。「目玉焼きがおかずにあれば、すごいごちそうだった」と飯田さんは話し、また祝いの席などでは芋金団(いもきんとん)やカマボコ、塩漬けにした魚を使ったお寿司などが出ていた。

 戦後の1950年代頃になると、成功した移民が一度日本へ帰国し、たくさんの物資をブラジルに持ち帰ったことから、日本食材や野菜も豊富に揃うようになった。彼らが野菜、果物の種や苗を持ち帰ったこと、そしてコチア産業組合も日本から種などを取り寄せていたこともあり、その後は戦前とは比べ物にならない食材の充実ぶりとなった。
 森岡さんは「日本人移民は食べることに関しては本当に気を使っていたと思う。頭を使って、ブラジルにある物、合った物で対応して日本食を作り、それが移民料理になっていった」と回想する。

 移民料理といえば、梅干の代わりとした「花梅」や、野菜のない中で漬物の代わりとした「シュシュ(はやとうり)の漬物」などがある。ADESCでは日本食材が豊富になり、移民料理を日本食の代用として食べる必要がなくなった今日でもそれらの漬物を生産、販売している。

 西村会長は「昔から食べている移民料理の味は懐かしい味として今でも人気。また家庭で母から子へ引き継がれている。花梅は老化防止効果があって体に良く、料理の彩りとして用いられている面もあり、求める声は多い」とその理由を話す。

 多くのフェイラに出店し、会員らが生産加工した食品を販売することで、日本食や移民料理を継承していくことをADESCは目的としている。「インターネットの影響もあるが、料理のレシピ本の売り上げが減っているのは、料理をする人が減っているということ。日本食はレストランがあれば残っていくかもしれないが、移民料理や『お袋の味』は伝わらない。それを大切にして残していきたいし、移民料理を通して日本の心を伝えていきたい」と西村会長は活動の意義を話した。

 既に戦前の移民時代を知る人は少なくなっているが、当時を知らなくても各家庭やADESCの活動を通じ、移民の味や料理は今後もブラジルで生き続けていくだろう。

2016年6月25日付

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