私の背中 末定 いく子  

私の背中 末定 いく子
サグラダファミリア教会で末定さん(サンチャゴデコンパステーラを終えた旅装のままで)
 現在放映中のNHK連続テレビドラマ「ひよっこ」を視聴する方々の中に「そうそう」と共感される方がおられるのではなかろうか。戦後、数十年を経た山村の、厳しい農業生産者の模索を映し出したドラマだ。   

 当時、都会と田舎の格差は顕著で、田舎暮らしに「都会」は、まばゆい存在だった。農家に生まれた子供等にとっても、家督を継ぐ者以外は、生家に居残っても仕事は無く、縁あらば婿や嫁に出されるのが常だった。そうした子等の救世主となったのが、アジアで初めて開催された東京オリンピックではなかったか?。あの世紀の祭典が日本を高度成長に繋げ、多くの職種が起業された事が、中学卒業後、進路が見えず農村にあぶれる子弟に「都会で働こう」の明るい未来を提示した。と同時にあぶれ子弟は「金の卵」に変身した。「金の卵は引く手も数多」の噂は瞬く間に広がり、「集団就職」が合言葉の如く浸透するや、私の村でも二十四人いた同級生の半数が、東京や関西に向け集団就職列車で旅立って行った。同時期、怪我で障害を負った私は、女性の職業に最適とされた栄養士を目指し、栄養士短大が併用する高校に進学していたが、五歳下の姪の(京子)は、中学卒業と同時に集団就職を余儀なくされた。  

 私の姉(京子の母)が、同村の義兄に嫁いだ時、急病で夫を亡くした義母は四十代、乳飲み子(H)の他に五人の子供を抱えていた。温厚な義兄とは裏腹に、義母は働き者だが嫉妬心が強く「嫁いびり」も酷かったが、悪習がまかり通る山村の嫁の身では、如何なる事も耐えざるを得なかった。       

 そんな中、待望の娘(京子)が誕生するも、娘を愛でる息子夫婦に嫉妬する義母は、姉にHを背負わせて野良仕事に出し、孫の京子を,泣き声も届かぬ離れ部屋に押しやっていた。が、義母の根性を引き、容姿が不細工なHに比べ、見目麗しく成長した京子は、誰からも「村一番、めんこい子」と褒めそやされた。その事をやっかむ祖母と小姑等に精神的虐待を繰り返されて委縮し、メソメソしてばかりいる京子に、事情を知らない私達は「泣き虫京子」と面白がった。      

 中学生になり京子の可憐さは際立ち、義母等の虐待は肉体にも及び、京子から会話が消えた。そんな娘を危惧した姉は、義母等から隔離すべく京子を関西の工場に就職させたのだった。 
  
虐待から解放された京子の潜在能力は開花し、就労しつつ夜間高校、大学も首席で卒業し、傍ら諸々の資格も取得して、六十路の今も現役だ。 

 帰国した折「良くぞ負けずに、泣き虫の汚名を返上したね」と労う私に、「ブラジル移住を敢行した叔母ちゃん(私)の背中を追っただけ」さらりと返事が返ってきた。          

2017年4月25日付

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password