移り行くゴイアニア日系社会㊤ ゴイアス日伯協会と振り返る

移り行くゴイアニア日系社会㊤ ゴイアス日伯協会と振り返る
ゴイアニア市の象徴のモニュメント

1、2世が支え、3世会長が束ねる時代

移り行くゴイアニア日系社会㊤ ゴイアス日伯協会と振り返る
大木戸さん夫婦と佐野さん(左から)

 ゴイアス州ゴイアニア市は人口約250万人を誇る都市にまで成長しているが、日系社会の規模は大きくない。同地に居住している日系人は1000~1500人前後と見られ、ゴイアス日伯協会(藪本エジガール会長)に登録されているのも150家族ほど。2世以降が中心の日系社会の変遷を、現地の1世から3世に、それぞれ聞いた。

 元々移住先ではなかったゴイアス州だが1960年、ブラジリアへの遷都に伴い、ゴイアニア市から約200kmの場所に、ブラジリア連邦直轄区が完成。首都の人口増加による産業開発で、米や珈琲産業の活性化により、同市近郊で農業を営むためにサンパウロなどから転住する人が出始めた。

 当時転住してきた1世も、現在ではかなり少ない。

 57年に第1回米作移民として、南大河州のバジェー移住地(ウルグアイ国境から40kmほど)に入植した大木戸浩さん(78、熊本)は86年にゴイアニア市に転住し、農業や日本料理レストラン経営などを行ってきた。大木戸さんは「当時、ここでは米作と言っても、周辺に水田などは無く、一般的な米作とは違う」と振り返り、「現在ゴイアニア市に居住している1世は30家族いるか、いないか」と説明。妻の寿子さん(77、長崎)は「昔はもっと多かった。ゴイアスへの移住は無かったけど、笠戸丸移民もゴイアニアにいた」と語り、「野菜作りなど農業がメインだった日系人の仕事も、商業や医者、弁護士などに代わっている。牧場主もいるし、大豆やトウモロコシの大農場を持っている人もいる」と変化を語る。

 結婚を機に、69年にゴイアニアに転住した新垣寛治さん(83、沖縄)は、野菜の販売を長年行ってきた。「1世は亡くなっている人が多い。1世だけで集まることもないし、何人かしか知らないけど、(数少ない1世の)友人に会える機会だから会館にはよく来る」と今でもゴイアニア市のゴイアス日本人会館(敷地内には同協会などが点在)に足を運んでいる。

 87年12月には、同市の日本人移民、日系人を対象に「日本友の会」が同地の親日家ワンデレイ・モラエス氏を初代会長として発足し、大塚順一郎さんの協力を得て、両国の文化を結ぶ活動や、日本語教室を開催していた記録もある。

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辻本さん

 佐道和人さん(76、2世)は、「今は2世が一番多いし、80代で高齢の2世もたくさんいる。日本語は話せて、読めるけど、書ける人は少ない」と話し、2世の仲間と大勢で集まることも多々あるそうだ。

 同地の日本語に関して、大木戸寿子さんは「日本語は残っているけど、サンパウロなどで元々学んでいた人が移住してきているから」と状況を見つめる。

 同市近郊のカルモ・ド・リオ・ヴェルデに50年前に移り住んだ辻本徳光さん(73、2世)は「ゴイアニアに住んで16年になる」と言い、自身がデカセギで10年間日本へ行ったことを踏まえ、「ゴイアスでは家庭で日本語を教える文化が殆ど無かったから、日本語ができる人が少ない」と日本語事情を語ってくれた。

 同地の日本語普及の拠点となるゴイアス日本語モデル校は現在、1世が校長を務め、約100人の生徒が通っているという。(戸)(つづく)

2018年6月2日付

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