【移民108周年】第2アリアンサ「鳥取村」 7月23日に入植90周年記念祭

第2アリアンサ「鳥取村」 7月23日に入植90周年記念祭
第2アリアンサ「鳥取村」自治会館

 サンパウロ州ミランドポリス市にある第2アリアンサ「鳥取村」の入植90周年記念式典が、7月23日午前9時半から同地の自治会館(Rua Shigueichi Fujissawa, 691)で開催される。当日は母県から県庁、県議会、教育委員会関係者など約10人の慶祝団が来伯して出席する予定で、開拓先亡者慰霊法要をはじめ、記念式典、敬老会、祝賀昼食会、日本語学校生徒及び県人関係者のアトラクションなどが行われる。(松本浩治記者)

 第2アリアンサ「鳥取村」は、1924年の第1アリアンサ創立を受け、海外移住地の開拓を希望した当時の鳥取県知事だった白上祐吉氏が鳥取海外協会を組織。26年8月7日、信濃海外協会と共同で第1アリアンサの隣接地に土地を購入し、同村を創立した。現在、同村の日系家族は約30家族で、うち鳥取県出身者及び子弟は3家族のみだが、在住者たちは「鳥取村人」の意識を持ち、村を支えている。

 「第二アリアンサ四十五年史」によると、翌27年に鳥取村に足を踏み入れた第1回入植者は、信濃(長野)扱い11家族92人、鳥取扱い5家族26人、熊本扱い12家族57人となっており、総数28家族175人がいたという。

 27年5月24日、サントス港に入港した同村入植者175人は、当時の信濃協会理事だった輪湖俊午郎氏が鉄道側と交渉して特別列車を仕立てたため、サンパウロ移民収容所に入ることなく、直接現地入りすることになった。しかし、そのことが皮肉にも5人の死者、重軽傷20数人を出す大事故につながった。

 トラベッサ1区に入植した故・中尾喜代治さんは、大事故の様子を「第二アリアンサ四十五年史」の中で次のように記している。

 「同(ソロカバ)駅を離れる事三キロの地点にさしかかった際、俄然前方より驀進(ばくしん)して来たサンパウロ急行列車とあわやと云う間もなく正面衝突、現場は一瞬にして修羅の巷と化した」―。

 一方、26年に12歳で渡伯してその後に同村に入植し、2001年8月に開催された鳥取村入植75周年記念式典で祭典委員長を務めた故・前田撲(すなお)さんは、「その頃は鳥取県出身者と長野県出身者の対立もあり、長野県人の前を通るとよく、いじめられました」と当時を振り返っており、その頃は各人の県人意識が強かったことがうかがえる。

 当時の戦前移住者の率直な気持ちと同様、前田さんも「10年間ブラジルで働いたら、すぐに日本に帰る」という心構えでいたが、戦後の「勝ち負け抗争」が帰国を阻んだ一つの理由だったようだ。

   ◎   ◎

 鳥取村には、1994年から鳥取県が日本語教師を派遣しており、去る5月24日には第12代日本語教師として大場諒(おおば・あきら)さん(29、鳥取県米子市)が来伯し、2年間の予定で現地に赴任している。

 第2アリアンサ日本語学校保護者会会長の河北ナンシー美智子さんによると、日本語学校の生徒は4歳から17歳まで18人が在籍し、クラスごとに週2~3回の授業を受けているという。

 鳥取村関係者は「1926年に鳥取県から移住者が入植してより、我が第2アリアンサ村は今年の7月で90周年を迎えることととなりました。平素よりお世話になっております近隣の方々とともに祝うことができたらと、村民一同願っております」と当日の出席を呼びかけている。

 詳細についての問い合わせは同村会(電話18・3708・1335)まで。

2016n年6月25日付

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