第3回「日本語教育の将来を考える」④

 日本人会の無関心が日語学校衰退の原因

続いて、継承語教育と文協について述べたいと思います。継承語教育を私塾でやっている地域、日本人会、文協でやっている地域、そして他の機関でやっている地域がありますが、日本人会、文協が母体となっているところが大半だと思います。しかし、最近はそういった学校がなくなってきています。どうしてなのでしょう?

日本語学校というのは日本人会の学校で、その地域の財産なんです。自分たちの財産なのに、当の日本人会が全く関心を持っていない。「もう子どもも孫もいないからどうでもいい」とか、ひどくなってくると「お金を使うから日本語学校をなくしてしまえばいい」といった話も聞きます。それでは何のための日本語学校なんでしょう。そこで頑張っている先生もいるんですよね。ほとんどの地域では1人もしくは少数の先生で何年間もずっと頑張っています。

けれども、そういう先生の想いや頑張りに全く目を向けず、持ち主である文協の人たちは「日本語学校はもういらない」と言い、雇われている側の教師だけが頑張っているという状況です。そして、その頑張ってこられた先生方が高齢になって辞めなければならなくなりました。そうすると「では誰が教えるのか?」という問題が浮上して「じゃあ学校も閉めましょう」という地域が多いんです。

移民100年が過ぎた今、文協をはじめとする日本人会の人たちが、これから日本語学校をどうしたいのかをもう一度しっかりと考え直さないといけないと思います。これまでは安易な流れで「誰かがやってくれるだろう」と続けてきましたが、一度ここでリセットして今後のことを考える必要があります。日本語学校を続けるのか? 続けるならばどういう学校にしたいのか? もう一度しっかりと考える時期だと思います。

教育に対する意識の違いが教師側の問題点

私も教師の立場ですので教師を批判したくないのですが、ここ数年感じていることは、昔から続けられている先生方と最近の教師は質が変わってきていることです。それは日本語の能力などではなく、教師としての考え方です。
私が勤めているのは田舎の日本語学校ですので、教師が1人辞めた時には新しい教師を探すのにすごく苦労するんです。日本語ができる人は結構いますが、みんな教師という仕事をやりたがりません。募集を都心まで広げると人材は結構いるのですが、田舎は嫌だと言われます。なぜ田舎の学校が嫌かと聞くと、「行事がきつい」「土曜日と日曜日は休みたい」「日本語を教えるのは好きで子どもに教えるのも好きだけど、それ以外のことはしたくない」という考えの方が非常に多いです。

もちろん、その考えも分かります。やはり週末は休みたいですし、ただでさえ授業が終わった後も次の日の授業の準備で忙しいです。私は幸いにも独身で一日中時間があるので時間を自由に使えますが、特に家庭を持っている女性の先生方が大変だというのも分かるんです。ですが、私はそういう多くの行事も含めて日本語教育だと思います。行事があるからこそ、日本語学校の良さがあるのではないでしょうか。ただ授業を受けるだけだったら、子どもたちが得るものも少ないんじゃないかと思います。

行事などの、通常の授業から離れた活動というものは、子どもたちもよく覚えているものなんです。教室で黒板やノートを使って勉強したことというのは、悲しいことに次の日にはもう忘れています(笑)。しかし、行事とかで楽しかったこと、嫌だったこと、辛かったことというのは、いつまで経っても覚えているものなんですね。日本語学校での思い出一つひとつというものが、将来的にその子にとって何か良い影響を与えているのではないでしょうか。具体的な例を挙げて断言することはできません。ですが何か心に良いものを残していると私は信じています。

教師は確かに大変です。しかし、だからこそ、それが子どもたちの教育に関係のある行事だったらやらなければいけないと思います。それが、日本語教師の仕事なのではないでしょうか。そういう仕事ができないのであれば、行事のない学校に行けばいいんじゃないかと思います。もちろん、それができない教師が悪いと言っているわけではありません。コロニアの継承語教育の学校の教師をやるからには、それくらいの覚悟を持ってほしいし、そういう教師が次々に出てきてほしいと本当に願っているからです。そういう教師が少ないからといって、行事をなくそうと考えるのではなく、学校の方針を受け継いだ教師を育てることを考えてほしいです。

 教育は教師と生徒でやるものではない

最後に、今後どうしたら継承語教育 を発展させられるか考えたいと思います。これまで日本語教育を取り巻く教師、文協、親についての話をしましたが、この三者が同じ方向で、子どもたちのため に、日本語教育のために頑張ろうと一致団結して取り組んでいかなければ、流れは変えられません。教師だけが頑張ってもどうしようもありません。文協だけが 頑張ってもやれることは限られています。教師、文協、親といった、子どもたちの周りにいるすべての人が協力して取り組んでいかないと、これからの発展は期 待できないのではないでしょうか。

そのためには、まずそういった人たちの考えや意識を変えるところから始めなければなりません。確かに 教師も大変ですが、文協も親も大変です。どうしてもお金もかかります。ですが教育というものはお金儲けではないんです。それでもお金が必要になるのであれ ば、どうにかして資金を作り出さなければいけない。そのために焼きそばやすき焼き、ビンゴなど様々な行事でイベントを催してお金を作り出しています。そう いった活動も、子どもたちのため、日本語教育のためと考えているからこそ、わざわざ土、日曜を使ってボランティアとして頑張れているのです。私たち大人が やっていることはお金儲けではなくて、子どもたちが大人になった時に色々な利益を得られるようになるためにやっていることなんです。教育というのはそうい うものだと思っています。

勉強は教師と生徒2人いればできます。でも教育というのは教師と生徒だけでやるものではありません。先生がい て親がいて、その周りにおじいちゃん、おばあちゃん、地元の会の人たち、みんなで教育をしているんです。周りの人たちが一生懸命に頑張っていれば、子ども たちにも絶対に伝わります。子どもたちもただ好きに遊んでいるわけではありません。周りの人たちが自分たちのために一生懸命頑張っている姿を見たら、必ず 子どもたちの心に響きます。「お母さんたちは頑張っているんだから、あなたも勉強しなさい」というような言葉じゃないんです。ですので我々大人は、子ども たちのために頑張っている姿を見せなければなりません。それが子どもの心に響いていき、その精神を自然に引き継いでいくのです。

親の皆 さんも「息子を日本語学校に入れておけばいいや」ではなく、親が親なりにできることはたくさんあるんです。文協も子どもや孫がいなくてもできることはたく さんあります。ですので、これからそういったことを一人でも多くの方に知っていただいて、周りの人々にも伝えていただき、少しでも理解者、協力者を増やし ていきたい。ただどうしようとあれこれ考えている場合ではありません。動かなければいけないと思います。このパネルディスカッションが今後の日本語教育の 発展のきっかけになってくれれば大変嬉しいです。 (つづく、文責編集部)

写真:講演を行う渡辺氏

2010年5月7日付

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