【座談会】第3回「日本語教育の将来を考える」終

 

 本紙主催で4月17日にブラジル日本文化福祉協会第14会議室で「日本語教育の将来を考える」と題したパネルディスカッションを開催した。パネリストにサンパウロ大学文学部教授のモラレス松原礼子氏、聖州ピラール・ド・スール日本語学校教師の渡辺久洋氏を招いた。今回は日本語教育の将来に対する、両氏の討論内容を掲載する。

松原 日本語学校の教育現場を見ていて気になるのは、日系人の教師が自分の職業に対して誇りを持てないため、自信を持って子どもたちに日本語を教えていないことです。自分のやっていることが良いことだと思っていない教師が多いので、私は非常にがっかりするんですね。私は日本語を教えることに対して、非常に誇りを持っています。

渡辺
 教師のプライドという点については、私も同じことを感じてきました。地方の学校ですと、教師がどうしても文協など周りからの評価を気にしすぎてしまう。そういうものが昔からあったために、「文協がこう言うからこうしよう」とか「文協がこう頼むからこうしよう」など、言われるがままにやってきたという感じは否めません。でも、教師にはもう少しプライドを持ってほしいなと思います。本当に素晴らしい、良い仕事をやっているんだと気付いていない教師も多いです。

人間の性格や人間性に影響を与えることのできる職業というのは、ごく限られた職業だけではないでしょうか。教師というのは、親に次いで子どもに対して影響力があると思うんですね。だから教師というのはそれくらい責任感を持たなければいけないと思いますし、逆に大変なことをやっているんだというプライドを持ってほしいです。それが教師たちのプレッシャーになって、「教師は聖職だから私みたいな人間にはできない」などと思われてしまうのも困るんですが、そのように卑屈にはなってほしくないですね。

松原 教師はお金のために仕事を選んだわけではありません。お金をかせぎたいならば、別の仕事を選んでいますよね。お金のためではなくやっている仕事だからもっと自信を持てばいいのに、なぜか日本語の教師たちは自信を持っていないんです。でもこれは、周囲の人がそれだけ日本語教師に対して敬意を示していないからです。

渡辺 教師も立派な職業です。誰一人ボランティアでやっているわけではないんです。ですので文協をはじめとする日本人会がもっと主導して、十分なお金は払えないかもしれませんが、日本語教師をやってみようかなと思えるような環境づくりをしないといけないと思います。

松原 色々な地域の教育現場を見せてもらうと、教師が狭い教室でひっそりと教えているのに、隣の広いスペースからは太鼓やカラオケの音が聞こえてきたりします。カラオケ等には豪勢に設備投資を行う、これはコロニアの問題だと思います。教師は与えられたわずかなスペースで、何も設備のないところで教えているんです。

良い日本、悪いブラジル 偏見による教育は差別

渡辺 これからの日本語教師の役割ですが、昔と比べてさらに難しくなると思います。昔はご存知のように母国語教育でしたので、国語ができればある程度教育をできるといった時代もありました。しかし現在は、日本語が話せない生徒に教える時代になっています。ですから教師は自分の持つクラスがどれくらいのレベルなのか、自分が受け持つ生徒がどういった子どもなのかをしっかりと把握して、授業カリキュラムや教科書を選んで考えていかなければなりません。
他国語の語学学校と違って、同じ教科書に沿って教えればいいというものではありませんし、たとえ教科書が決まっていても生徒によってその進め方も変わってきます。どんな生徒に対してもできるような指導法、アイデアを常に勉強していかなければいけません。

松原 ただ、やはり教え方に問題があったのではないでしょうか。教師によっては日本が優れていてブラジルが劣っているという教え方をしている場合があると聞きました。「日本が良い」のではなく「日本も良い」と教えるべきだと思います。「ブラジルが悪い」と教えるのは、はっきり言って偏見です。

渡辺 当然ブラジルにも良いものがありますし、ただ何でもかんでも日本のものを教えればいいというわけではないですね。私の学校でも生徒に作文を書かせることがありますが、「日本の好きなところ」とか「日本文化の良いところ」だけだと、どうしても日本は良い、ブラジルは良くない、ということを間接的に書かせているようなものなんですね。ですからテーマを「日本の良いところ、ブラジルの良いところ」として両方を出させていかないと、松原先生が言っていたように差別でしかないと思います。

日本はこういう部分が良いと教えるのではなく、日本はこういう文化でブラジルではこういった文化ですと教え、その中でこの部分は日本のほうが良い、でもこの部分はブラジルのほうが優れている、そういうものを自分たちで判断させてあげないといけませんね。何でもかんでも大人たちがこれがいいんです、と言うだけでは子どもたちに考える力がつきません。

松原 よく言われるのは、日本人はすぐに謝るけれどブラジル人は謝らない。でも私は、日本人は謝ったらそれでいいのか?と思います。善悪の判断なしに「すみません」と反射的に言っているような気がします。ブラジル人はそうではないですよね。本当に悪いと思わなければ、決して「ごめんなさい」と言いません。どちらがいいのでしょう? むしろ言葉の上だけで謝るのは簡単じゃないですか。ただ謝ればいいという問題ではないと思います。

ブラジル人の学生は遅刻したら必ず言い訳から始まります。「今日はバスが遅れて、地下鉄が来なくて、公衆電話は壊れていて、携帯電話のバッテリーは切れていて、先生に連絡つきませんでした」。私が「そう、大変だったのね」と言うと、そこで初めて「ごめんね」と謝ります。日本人の場合ですと、「先生、申し訳ありませんでした」から始まります。その順番も違うし文法の形も違うんですが、文化自体が違いますので、ブラジル人がこう言ったから悪いというのは先入観であり、非常に偏った考え方だと思います。

 研修を通して教師のレベルアップが必要

松原 継承語教育だ けが日本文化を教えているわけではないのですが、ただ、継承語教育の危ないと思う点は、日系人が自然に習得してきた「日系文化」だという点です。「日本文 化」ではないんです。私たちが知っている日系文化というのは、例えばロミオとジュリエットの巻き寿司(スライスチーズとグァバのペーストの入った巻き寿司)を食べたり、これがブラジルで生まれた日系文化です。

渡辺 私は子どもを相手に継承語教育を行っていますが、その町によって状況が異なりますので、継承語教育の方法も地域や生徒によって変わってくるものだと考えています。しかし、「うちの町のうちの学校ではこうなんだ」 という基本的な方針を、どの学校にもしっかりと立ててほしいと思います。でないと、親や周囲の意見によってコロコロと学校のやり方が変わってしまいます。

松原  また、2世の教師は教え方が下手だとよく言われていることですが、それも少し違うと思います。日本語とポルトガル語はあまりにも文法構造が違うので、生徒にはきちんとした説明が必要になります。2世の教師は日本語のネイティブではありませんし、教師のための研修を受けなければいけません。教師は教え方の技 術を確立させることが義務ですが、研修等の環境づくりは周囲も一体となってやらなければ、教師だけで行うのは困難です。

渡辺  日本語センターでも研修プログラムをしっかりと組んでいて一昔前と比べると内容も良くなったと思います。これから教師になる人は最低限の指導法の養成講座に通わなければいけませんし、一般のブラジル人に対する日本語教育は、現在サンパウロ大学(USP)やいろいろな場所で勉強している方がいますので、そういう方々がブラジル社会の中で日本語を広めていってくれるのではないかと期待しています。と言うのも、一人の教師が子どもに対する日本語教育から一般ブラ ジル社会に対する日本語教育までをこなすのは難しいからです。自分がどういった日本語教育を目指しているのかによって、どこでどういう研修プログラムを受 けるのかも変わってきます。

学校同士の情報交換で日本語教育の発展を

松原 環境や時代背景を考えると1世の教師は安い給料で非常に頑張ってこられました。我々2世はそういう土台があった上で批判もできるし、もっと良い授業ができるという考えも生まれてきたわけであって、現在の尺度で1世の教師のやり方を判断することは皆さんにもしてほしくないですね。あの当時と比べると現在は恵まれすぎて います。そして、2世が休日まで出勤して働きたくないというのは、現在のブラジル社会では普通のことです。それでも働けるような環境をどうやって作るか。

日本から来られた教師の中でも、渡辺先生のような熱意のある方は例外だと思います。すべての教師が熱意を持って働けるような職場を作らなかったコロニアに 責任があるんです。外部のJICAなどは制度を設けて研修や助成金など色々してくださっていますが、学校側も内部で何かアクションを起こさないといけないと思います。

赤間学院やアルモニア教育センターなど、ブラジルで成功した学校は時代のニーズに応じて変化を遂げてきました。時代に応じ た策を見つけなければ、昔を嘆いているだけでは何も始まらないんです。この時代で何かできることを探すべきです。日本語学校が地方に分散し、ブラジル学校が都市部に集中すると、ブラジルで生き抜くための教育を子どもにすることを考えたときに、どうしても日本語学校の優先度は下がります。

どんなに日本語学校が良くても、ブラジル学校と合わせて通えるところとか、ブラジル学校と交渉して日本語教室を設立するなどの方策を考えないと、このまま では継承語教育そのものがなくなってしまう可能性すらあります。他にも組合制度を設けて税金を免除して設立した学校など、運営がうまくいっている事例を見習って考えていくべきだと思います。

渡辺 地元の人たちが協力して、どんな学校にしていくかを真剣に考えなければいけない 時に差し掛かっています。自分たちだけでアイデアを出すのは難しいというのであれば、今後必要になるのは情報発信とつながりです。様々な地域の日本語学校 の情報が分かれば、「そういう方法があるのか」と連絡を取って色々アドバイスをもらったりもできます。日本語教育のために役立つネットワークを築くこと で、今後のブラジルの日本語教育の発展につながると思います。(おわり、文責編集部)

写真:日本語教育の将来について討論する松原氏(右)、渡辺氏

2010年5月8日付

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