第49回県連ふるさと巡り⑤

第49回県連ふるさと巡り⑤
日野さん夫婦
第49回県連ふるさと巡り⑤
施設横を流れるグランデ川の対岸には南マット・グロッソ州が見える

近郊移住地の貴重な証言

 サンパウロ(聖)州と南マット・グロッソ州の州境に当たるグランデ川沿いの大型プール施設「グランデス・ラゴス・テルマス」を満喫していた一行の中で、前日訪れたジャーレスやウラニアでの日々を回想する参加者がいた。日野寛幸(ひろゆき)さん(72、2世)は、ジャーレス管轄内に戦後の1950年代半ばから日本人が入植した共和移住地(旧アラサ植民地)の出身で、米作を行っていた。日野さんは「当時は森林だったから切り開いて焼き、米とカフェを植えた。カフェができ始める4年後、森林を切りすぎたせいで気候が変わり、それまでできていた米もできなくなった」と思い返す。

 日野さんによると、60年代には100家族ほどが住んでいたといい、戦前ノロエステ地方に入植して転住してきた人と、戦後移住者の半々くらいだったそうだ。移住者は学校が無い状況を鑑みて、日本人会で協力して建設し、聖州政府に寄贈したことで州政府から教員も派遣された。日野さんも3年生まで通っていた。

 前述の通り気候が変わった同地では、カフェの花は咲いても実はならず、移住者の生活も限界に近づき、聖市で商売を始める人や、ミナス・ジェライス州のコーヒー農園に移る移住者が後を絶たず、75年頃から同移住地居住者は殆どいなくなったという。

 70年に聖市へ移った日野さんは2007年10月頃、聖州教育庁に勤めていた際に同移住地近郊のパラナプアンが市制100周年を迎えた。「共和の学校出身だから」という理由で式典で当時の経験談を話してほしいと打診され、37年ぶりに同地を訪れた。「会館や学校の建物はあったが、移住地だった場所は牧場になっていた」と振り返る日野さん。母校を3年生で出て、4年生以降はジャーレスの学校に通っていたそうだ。

 今回、「妻が見てみたいと言ってくれたから参加した」と話す日野さんの横で、妻のヨシエさん(71、2世)は「田舎だと聞いていたので、イメージと合っていました」と笑顔で話した。

 また、日野さんは施設横を流れるグランデ川にも思い出が詰まっており、「父と漁網と塩一俵を持っていき、グリンバターを捕っては塩に付けて家の駐車場に干して保存していたね」と笑い飛ばす。

 日野さん夫婦は翌日、イリャ・ソルテイラで思いがけない出会いに恵まれる。(戸)(つづく)

2018年10月9日付

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