隠れキリシタン2世夫妻㊤ 真里谷家の歴史を後世に ドミンゴスさんとテレジーニャさんの歩み

隠れキリシタン2世夫妻㊤ 真里谷家の歴史を後世に ドミンゴスさんとテレジーニャさんの歩み
「第60回旧コチア産業組合関係者合同慰霊祭」に参加したドミンゴスさん(写真中央)

 去る9月23日に行われた「第60回旧コチア産業組合関係者合同慰霊祭」は、1956年に同組合創業者の下元健吉氏が亡くなって以降、毎年命日の前後に実施され、今年で60回目の節目を迎えた。当日、会場には60回欠かさず参加してきたというコチア旧友会の真里谷(まりや)ドミンゴス信男さん(91、2世)の姿があった。隠れキリシタンの家系で、創立組合員のアゴスチーニョ・浩さんを父に持つ。コチア小学校で育ち、88年まで同組合に勤め続けた。また、奇しくも隠れキリシタンの両親を持つ妻ノハマ・テレジーニャ・好子(よしこ)さん(85、2世)にも、そうしたルーツとの関わりやこれまでの半生を聞いた。

 真里谷という苗字は珍しい。「ウチは歴史の長いカトリコ(カトリック)ですよ」と語るドミンゴスさん。父・浩さんは、その母(ドミンゴスさんの祖母)カタリーナ・カネさんと共に1912年4月29日サントス着の「厳島(いつくしま)丸」で渡伯。当時カネさんは39歳の未亡人で、浩さんは16歳だった。後にコチア産業組合の創立会員の一人となった父・浩さんの出生地は福岡県三井郡草野町(当時)。現在、草野町は久留米市に編入されているが、ブラジルに多数移民した「隠れキリシタンの里」大刀洗(たちあらい)町の「今村」とも当時は同じ三井郡で、その距離は10キロにも満たない。

 そうした情報をより合わせて、「隠れキリシタンだから、聖母マリアのマリアに漢字を当てた…」と早合点したくなるが、そうでもないようだ。話は戦国時代に遡(さかのぼ)るが、甲斐(かい、現在の山梨県)守護職武田信満の次男、信長が上総(かずさ、現在の千葉県中部)に進出し、1456年ごろに築いた城の一つに真里谷(まりやつ)城という城がある。ここの城主が真里谷(まりやつ、まりや)氏と名乗ったようで、ドミンゴスさんは、「いつも父はちょっと酒を飲むと『武田信玄の(一族の)血が通っているんだぞ』と語っていた」と振り返る。

 現在、ドミンゴスさんの弟・トーマス・ヒロクニさんらが中心となって家系調査をし、ポルトガル語でまとめているという。ここまで古くまでたどってルーツを探り、子孫に伝え残そうとするケースは珍しい。

 こうした真里谷家のルーツの伝承は、ドミンゴスさんの兄弟の和名にも現れていて、信淋(のぶよし)、信幸(のぶゆき)、信男(のぶお)、信保(のぶやす)と、武田家特有の信(のぶ)を継承する名付け方が踏襲されているという。

 しかし、もし、真里谷という苗字がそうした上総の武田真里谷氏から来ているとしても、どうした経緯で福岡県三井郡に流れ着いたのか。そして、隠れキリシタンとの関係性には未だ謎が残る(フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、カトリック教の布教を始めたのは1549年のことだ)。

 とにかく、そうした敬虔なカトリックの家庭で、ドミンゴスさんはサンパウロ州イタペヴィ市に生まれ育った。洗礼名のドミンゴスは、長崎県から渡伯し、ブラジル各地の移住地を馬や徒歩で訪ね、初期の移民たちに布教してまわった中村ドミンゴス長八司祭(1865―1940)から取って与えられたという。

 コチア産業組合が16年に開校したコチア小学校に通って育った。「寄宿舎もあって生徒はみんな日本人(日系人)。ポルトガル語も日本語もソロバンもそこで学んだ」と振り返る。
 帰宅後は父の農業を手伝い、子供ながらに重たい噴霧器を担いだり、天秤で川から水を担いで運び、腰を痛めるなど、小さい頃から苦労は絶えなかった。

 信仰が深かった母は「おミサだけは行かないといかんよ」と言い、コチア市の街の教会まで6キロの道のりを毎週日曜日に歩いたという。母と2人で道中に栗を拾い集め、街に着いたら「1キロ、1コント」で小分けにして売り、帰りのバス代にしたことも。当時、靴はあまりに貴重で、手に持って裸足で歩き、街についてから履くほどだった。食事の前や朝夜の祈りも家族で欠かすことはなかったそうだ。(河)(つづく)

2017年12月6日付

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