面白いコロニア旅行業の裏話(41)

石原慎太郎氏と二子山親方(初代若乃花)
 現東京都知事の石原慎太郎氏は東京・麻布にある宗教団体「霊友会」に入信して、参議院議員に当選し、自民党を脱退して無所属で東京都知事選で知事となり、いま4期目の現職知事として活躍している。参議院議員を辞職したあとに、故初代若乃花(当時双子山親方、後に相撲協会理事長)と一緒にブラジルの霊友会特別講演会に2回来伯している。

 石原氏は政界進出にあたり、自身の後見人的立場だった当時の産経新聞社主水野成雄氏を介して霊友会の支持を取りつけ、大量の組織票を獲得する。自らも霊友会の信者であり、自らの信仰についての著作(「法華経を生きる」など)も書いており、霊友会の機関誌「あした21」に連載を持っている。霊友会初代会長小谷喜美を師として仰いでおり、霊友会現会長大形市太郎と対談を行っている。また、2002年には霊友会の新年会であいさつを行っている。

 初代若乃花幹士(わかのはな・かんじ)さんは本名・花田勝治(はなだ・かつじ)、1929年(昭和3年)3月16日生。大相撲の力士、第45代横綱。所属は、入門当時は二所ノ関部屋、53年に花籠部屋の独立とともに移籍。青森県弘前市青女子(あおなご)出身。身長179センチ、体重103キロ。血液型はB型。弘前市名誉市民。引退後二子山部屋を創設し、弟である大関・初代貴ノ花、横綱・2代目若乃花(現・間垣)、横綱・隆の里(現・鳴戸)、大関・若嶋津(現・松ヶ根)を育て、日本相撲協会の理事長もつとめた。第65代横綱・貴乃花、第66代横綱・3代目若乃花は甥にあたる。 

 愛人関係にあった韓国人女性との間の息子が藤島部屋に入門したが、幕下止まりで97年に廃業している。小さかった長男を亡くした後から霊友会に入信しており、花田一族ともに霊友会に入信したとも言われている。

 石原氏が初来聖の折に5つ星のホテルの数もあまり多くなく、しかもF1のためいずれのホテルも満室状態でスイート・ルームが取れず、サン・ルイス通りにあるホテル・エルドラードにヌプシアル・スイート(新婚用ルーム)の予約が取れた。新しいホテルでもあり部屋もきれいでプールもある。

 奥様の典子さん同伴でサンパウロに到着して、ホテルまで案内してチェック・インをした。部屋に入ってから、ロビーで待機するガイドが部屋まで呼ばれ、支配人と一緒に部屋へ入ると、笑いながら、「この部屋のベッドは何? 円形ベッドなの。ツイン・ルームはないの」と。いずれのホテルも満室状態であることを説明し、3泊の辛抱を願ったところ、これも笑顔でご了承をいただいた。つまり、この部屋、ヌプシアル・スイートというのは、このホテルに3部屋あって一番高額なハネムーン用のスイートだった。二子山親方は1人で宿泊するので問題なかった。精一杯お世話をさせていただき、暇な夜の時間に石原さんの希望で、日本テニス界の元学生チャンピオンだった慶応大学出身の木本さんをご紹介し、ピニェイロス・クラブのコートで軽いプレーをして汗を流していた。

 霊友会主催の講演会は好評を呼び、会場が満席状態で、米国に対して「NOといえる日本」とかの話題で、しかも歯切れよく日本という国のあり方を一刀両断的な理論を展開して物議をかもし出す人で、現在でも東京都知事として大いに活躍中である。また有名な歌手・俳優の石原裕次郎さんの実兄にあたり、「弟」という本も書いている。公演内容は大変興味のある内容だった。

 一方、二子山親方は「土俵の鬼」とも呼ばれ横綱若乃花時代に戦後大相撲の大ブームを呼び起こした栃若時代の立役者。さらに、苦しかった青年時代に育まれた勝気とド根性の物語には大変共鳴し感動した。

 翌年2度目のブラジル講演のときのエピソードある。一行はパリ経由でコンコルドに搭乗してガレオン空港へ到着し、リオ観光をすませ翌日にサンパウロへ入った。このときはヒルトンホテルのスイート・ルームに投宿した。一行がサンパウロ講演を終えてロンドリーナ講演に移動した翌日のことだった。霊友会の田中正博南米総局長から急な電話連絡が入り、石原氏が急用で日本へ帰らなければならない。大至急、今晩の便で帰国できるよう手配するように依頼を受けた。パンアメリカン航空の便にファーストクラスの予約変更を済ませ、サンパウロのコンゴニアス空港でアエロ・タクシー・リーデル社の6人乗りジェット機をチャーターしてロンドリーナへ向かった。

 このフライトには山下専務も同行した。ジェット機は早い。コンゴニアスの滑走路を猛スピードで離陸したかと思うと、ある程度の高度で目的方角を定めて急上昇をはじめた。ぐんぐんと上昇していくのが感じ取れる。高度7、8千メートルあたりで今度は下向きへ下降し始めた。その間、45分から50分くらいの時間だった。ロンドリーナ上空で管制塔の指示で無事着陸した。

 ロンドリーナ空港へ着陸すると、すでに田中総局長に付き添われ、石原氏がスーツケースを横に座って待っていた。あいさつを済ませ、直ちに小型ジェット機に搭乗していただき、今度はパンアメリカン航空のジャンボ機がニューヨークへ向けて出発するビラコッポス空港へと急いだ。同空港へ到着すると、パンアメリカン航空の地上スタッフの案内で、荷物タグを受け取り、ブラジル出国印を済ませた旅券等を受け取り、別れを告げた石原氏はその足でタラップを登っていった。それから20分たってパンアメリカン航空のジャンボ機にエンジンがかかり、まもなく飛び立っていった。(つづく、成田修吾)

2010年9月17日付

コメント0

コメントを書く

Login

Welcome! Login in to your account

Remember me Lost your password?

Lost Password