首里の風来坊② 留学先のハワイから世界旅行へ

首里の風来坊② 留学先のハワイから世界旅行へ
ハワイ大学校内でベトナム戦争に抗議する学生(1968年、城間勇美さん撮影)
首里の風来坊② 留学先のハワイから世界旅行へ
テキサスでヒッピーの友人と(城間さん提供)

◆ハワイで沖縄の本土復帰を知る

 1965年にハワイ大学マウア校へ琉球列島米国民政府(USCAR)負担で国費留学した城間勇実さん(73、沖縄)はハワイ到着後、学業面で苦労を重ねた。新しい科目ごとに、新しい英単語を覚える日々で、息つく間も無かったといい、「苦しい5年間だった。国費だから必死だった」と語る。

 USCARからの国費留学は、当時では考えられないほど好待遇で、奨学金として月に300ドル、寮費、文具などの学費も全て負担し、年に1回沖縄に軍用機で帰省までさせてくれた。

 69年、日米首脳会談でリチャード・ニクソン米大統領が、65年から続いていたベトナム戦争終結を見据えて、日米安保条約の延長と引き換えに、沖縄返還を約束。本土(日本)復帰が事実上決まった。

 70年、ハワイ大学を卒業した城間さんは、帰国を躊躇(ためら)っていた。仲間が軍用機で沖縄に帰るのをよそ目に、世界旅行を決意する。城間さんは、「アメリカが沖縄から全面撤退するなら、自分は必要ないと思った」と米国と沖縄の仲介役を担うはずだった自身の将来を見つめ、複雑な思いを抱いていた。さらに、「当時は若い人が国のために働くことが当然だったし、小学校の頃から米国に反対して、日本に帰りたいと散々言ってきたのに。これでいいものか」と熟考した。

 城間さんは「72年の本土復帰には帰るつもりだった」と卒業後に帰国せず、世界旅行へ出発した。

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◆ベトナム戦争下の米国本土をヒッチハイクで横断

 在学時に寮で一緒に生活していた仲間との再会を目指し、アメリカ本土へ向けてカメラを片手に出発した。

 コロラド州、オレゴン州、アリゾナ州のグランド・キャニオンと歩を進め、テキサス州に向かった城間さんはヒッチハイクで思わぬ目に遭う。当時のアメリカは、「正義無きベトナム戦争」への反対運動が起こったのを発端に、『愛と平和』を謳い、自由を求めるヒッピー全盛時代で、ヒッチハイクは禁止されていた。南部で若いヒッピーが毛嫌いされていたため、テキサス州は最も規制が厳しかったという。城間さんは高速道路上で事情聴取され、警察官に「お前、次見つけたら監獄へ連れて行くぞ」と言われたと笑い、「禁止されていたが、当時はベトナム戦争の真っ只中で、『ラブ・アンド・ピース』の時代。みんなヒッチハイクをしてた」と振り返る。

 テキサス州で知り合ったヒッピーの友人とともにヒューストンを経由し、カリフォルニア州へ向かった城間さんは、「砂漠でも寝袋で野宿していた。寒いから新聞やら何やらをとにかく寝袋に詰め込んで寒さを凌いだ。サバイバルだったよ」と語り、ロッキー山脈では鍵を閉め忘れているスクール・バスで眠れたことに感激したという。(戸)(つづく)

2018年8月3日付

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