首里の風来坊(終) 『ソモサ王朝』時代のニカラグア

首里の風来坊(終) 『ソモサ王朝』時代のニカラグア
ソモサ王朝時代、捜索を担当したニカラグアの警察官(1971年、城間勇美さん撮影)
首里の風来坊(終) 『ソモサ王朝』時代のニカラグア
ニューヨークの街並み(2012年撮影)

◆コロンビアで空手指導に励み、NYに移住

 城間勇美さん(73、沖縄)はグァテマラを経由してニカラグアの首都マナグアに入り、真っ先に大使館へ新聞を読みに行った。すると、行く途中で知り合った人に騙され、日記帳、写真のネガ、レンズなどを盗まれてしまった。「6カ月半かけて撮り溜めてきたネガが全て無くなった」と初めて涙が出たという。

 途方に暮れた城間さんが会いに行った、ハワイ大学在学時の友人カルロス・セビージャ・サカサさんの父は、アナスタシオ・ソモサ・ガルシア将軍の軍事クーデターによる政権掌握で始まる『ソモサ王朝』(1936~79年まで)と呼ばれる独裁体制を布(し)いていたソモサ家の家長(当時の大統領に当たる)の親戚だった。また、中南米諸国では人間関係の上で、「血縁家族」の次に重要視されるのが、カトリックに基づく「擬制親族制」で、子供が洗礼を受ける時の名付け親として代父(代母)を立てる「パドリーノ(マドリーナ)」とされる。

 同友人のパドリーノになっていたのがソモサ氏だったため、探偵まで雇い、盗賊の出身地が分かると、現地警察まで電報を打つなど、当時のニカラグアでは簡単にできないことを次々にしてくれたといい、沖縄の実家に、「勇美がニカラグアまで無事に着いている」という電報まで打ってくれたそうだ。城間さんは「当時のニカラグア社会で、ソモサ一家とのつながりは強力なもので、何でも可能になった」と証言する。

 一家の協力を経て、盗賊の出身地、北部のテルパネカまで行き、家宅捜索に入った城間さんは、盗まれた荷物があって安堵したものの、肝心な写真のネガ、日記帳は便所の中に捨てられていた。絶望した城間さんは、「一枚でもアメリカの写真を保存したい」と縄で体を縛って便所に飛び込んだそうだ。盗賊がプラスチックケースのまま投げ入れていたため、7割方のネガを無事に発見。「『魂のネガ』。だから今でも大切に持っている」と思い返す。

 ニカラグアを出た城間さんは、コスタリカ、パナマを経由した後、コロンビアへ。メデジンから、ボゴダに着いた最初の夜、またしても盗賊に遭い、荷物を全て奪われてしまった。犯人は捕まったものの、警察から現金を要求され、何も取り返せなかった。

 その後、バランキージャに行き、路上生活者の子どもたちに、空手道場を案内される運命的な巡り合わせで、鹿児島県から来ていた空手の師範に出会う。そこで、ハワイ大学在学時から空手をしていた旨を話すと、「カルタヘナで空手指導者を探している」と教わり、結局、カルタヘナの海軍兵学校で空手指導を行うことになった。また71年、米大使館主催の英語教室で教師をしていた女性と意気投合して結婚。74年には第1子が誕生し、77年の第2子誕生を機に、妻の故郷・ニューヨーク(NY)へ移住した。

 NY移住後は、「ダイアモンド・ストリート」と言われる47番街の宝石屋に勤務し、夜学に通ってダイアモンドについて勉強した。3、4年勤務した後に独立し、伯国リオデジャネイロや、亜国ブエノス・アイレス、ウルグアイ・モンテビデオでアンティーク・ダイアモンドを店や骨董市で探し歩き、3カ所から集めたダイアモンドをNYに運んで販売すると良い値が付いたという。

首里の風来坊(終) 『ソモサ王朝』時代のニカラグア
空手を続ける城間さん

 宝石のアンティークが無くなってきた90年代からは、アンティーク腕時計の前記3カ所とメキシコから集めて日本で販売した。

 城間さんはNYでも絶えず空手指導を続け、現在でも道場に通っている。日本には道着を持って時計を売りに行ったそうだ。「(新幹線の)グリーン車に乗ると、ヒッチハイクが懐かしくなったよ」と笑う城間さんは、根っからの旅人だ。本土復帰直前の沖縄、中米独裁社会を当事者として外から見つめた旅人の貴重な証言となった。(戸)(おわり)

2018年8月7日付

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