NY在住トシ・カプチーノ氏 大分県人会65周年式典で来伯

来年の県連日本祭り参加にも意欲
「自分らしくいきたい」と語るトシ・カプチーノさん
NY在住トシ・カプチーノ氏
「自伝ソロミュージカル「大器“超”晩成」のビジュアル(=提供写真)

来年の県連日本祭り参加にも意欲

 【既報関連】9月29日にサンパウロ(聖)市リベルダーデ区で開催された大分県人会65周年記念式典で、日本国歌斉唱をリードしたトシ・カプチーノさん(57、本名は平野利光)。米国ニューヨーク(NY)を中心に演劇評論家、プロデューサー、歌手と多様な活動をするトシさんは、来年の県連主催の日本祭りへの参加も期待されている。また、5年前にはNYで日本人初の同性婚をし、一見順調そうに見える人生だが、苦労の連続だったという。

 「実は中学生、高校生の頃の記憶はあまり無いんです。嫌な記憶だから、忘れちゃったのかも」―。興味の対象は男性、一緒にいて楽なのは女性、周りと合わず嫌がらせをされた幼少期。トシさんが「この世界から抜け出し、皆を見返すため」と挑戦し続けたのが歌だった。

 中学生の頃から出場した「スター誕生!」は、「山口百恵」「中森明菜」など数々の有名歌手を輩出した日本の番組だ。10回以上参加した常連で、高校2年生で初めて福岡大会優勝者となり、決勝大会へ進んだ。しかし、デビューへは至らなかった。

 トシさんは歌手の道を諦めきれず、高校を卒業後に上京。バンドを組み、米軍基地、新宿、横浜、横須賀のディスコやクラブで歌っていた。この頃もトシさんは仲間に同性愛者だと言えず、異性愛者として振る舞っており、「あの時期があって今は良かったけど、本当に辛かった」と振り返る。しかしそのバンドも先が見えず、26歳で地元福岡へ戻った。辛子明太子の配送など、アルバイトを転々とした。

 その後、有名なファッションプロデューサーと恋に落ちて再び上京し、東京の一等地でセレブな生活を経験したが、1年半でその恋人と破局。半年泣き暮らしたが、ある日、元恋人が欧州で活躍していたことを思い出し、英語を使って活躍しようと決心。そして「自分らしく生きる」ために、1995年に34歳で渡米。NYに滞在3日目で、「ここに住もう」と決めた。

 何の保障もなく渡米したが、運良く2週間で仕事が決まった。それがブロードウェイ・ミュージカルの版権を取得し、日本で公演できるようにコーディネートするもの。性的少数者の人生を舞台にした「RENT」の日本公演は、トシさんがコーディネートした。また、演劇雑誌に批評を書き始め、評論家としても活躍し始めた。

 それでも歌を諦めきれなかったトシさんは、2005年に44歳で再び歌手を志すことにした。「ゲイであることを隠して、ビクビクしてたから成功しなかった」とそれまでを省みるトシさん。「ブロードウェイは、成功しようと覚悟を決めて、挑戦している人達の集まり。感化されました」と自己プロデュースの公演を始めた。夢は紅白歌合戦出場。現在、57歳の自分が夢を追うことで、「諦めなければできるんだ」と思ってほしいとトシさんは語る。

 9月29日の大分県人会65周年式典は、大分県で公演後、米国の大分県人会で「ブラジルで公演をやりたい」と話していた時に紹介された。

 「ブラジルの日系人を尊敬する」と話すトシさん。それは、自身が覚悟を持ってNYで挑戦し続けることと、日本から最も遠いブラジルへ骨を埋める覚悟を持った移住者が重なったからだという。

 「先進国である日本から、一旗上げようと思う人は今は少ない。漠然とした気持ちで海外へ行く。ブラジルの日本人、日系人はもっと覚悟があるように感じる」とトシさん。ブラジル人にもショーを見てもらいたいと、来年の県連主催の日本祭りへの参加意欲も強い。その後には、トシ・カプチーノ単独公演でキャバレーショーをやりたいという夢も話し、今後もブラジルに関わりたいという思いを語った。

2018年10年18日付

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