ブラジルの未来を切り開く日系人経営者 (86) 山田 勇次 ㊦

ブラジルの未来を切り開く日系人経営者

母を想う一途な13歳が家族をまとめてブラジル移住
家族愛を支えにブラジル盛和塾のシンボル的存在に

山田 勇次 ブラスニカ社・会長 兼 盛和塾ブラジル・代表世話人

 山田が、事業家として、経営者として、日系人を代表する経営者の1人になっているが、その現在を築くまでの母への想いと20歳までの苦闘の人生を紹介したい。
 まず移住2年目に父が他界したが母・秀子と山田との信頼関係は抜きんでていた。母想いだった山田の言葉がある。「正直一途な母の生きている姿は座って休むことがなかった。ブラジルに移住してからもソファに座ってテレビを見たことはなかった」という。同時に母は勇次が成功することを常に願って生きていた。ブラジルに移住して以来、「私にとって勇次は自慢の息子だ」と言い続け、山田も「お母さんがいなかったら僕の事業は成功しなかった」と言ったらとても喜んでくれたという。また母が亡くなるまで週に3回ほどフェスタに連れて行ったり、自分の野菜畑に連れて行ったりして、孝行をし続けた。新車を買った時には「私を1番早く乗せてね」だった。

 ここでエピソードをもう1つ紹介したい。「母を幸せにしたい」という少年の一途な想いが一家を挙げたブラジル移住に繋がった。11人兄弟の中で育った幼少期から、母の毎日働き尽くしの苦労を見て育ってきた。朝は誰よりも早く起き、食事・洗濯・育児・農作業など、四六時中働き通しの母を助けたい一心で、北海道の冬の寒さは体験してみないとわからない厳しさがあり、8歳の頃から厳冬の零下10度、20度の手がかじかむような寒さの中で、毎朝5時から牛の乳絞りをして母を助けてきた。当時、家では牛7頭を飼育していた。7時には小学校へ通った。学校から帰ると60頭いる豚小屋の掃除も毎日手伝った。一方、父は石川県出身の士族の長男で家族には命令調で自ら労働をする人ではなかった。その分、母の負担が倍加していたのであった。乱暴な父を見て「母が切ないほどかわいそうだった、これが毎日続いていた」という。その思いが12歳の時に出た行動だった。ある日、ブラジルで移住生活を体験してきた近所のおじいさんから「ブラジルは1年中何でも育つ国」と聞き、見渡す限りの地平線が続く大平原で農業をやっていく夢を心に刻んだ。

 少年の心に情熱の炎となったブラジル移住の想い。そこでおじいさんから聞いたブラジル移住を自分の言葉として毎日のように母に懇願していた。母では埒が明かず、父に子供の人生をかけて一家を挙げてのブラジル移住話を繰り返し何度も何度も問いかけた。「いまの開拓地暮らしではこれ以上生活は良くならない、ブラジルに移住していままで以上に生活が豊かになるよう頑張りたい」。そして事態は好転した。決断力不足だった父も、そして母も、そして兄弟が、13歳になった山田の考えに背中を押された。そして山田家のブラジル移住がついに実現したのであった。いま1900名の社員がいるブラスニカ社の原点は、13歳で家族をまとめ上げた山田の人心掌握術にあったのである。

 その移住してから5年後、兄との人生観の違いから17歳で袂を分かち独立した。17歳から果樹栽培に取り組み、20歳でバナナ栽培会社『ブラスニカ』を設立した、移住前の山田少年の頭で描いていたブラジル構想にはバナナ栽培もイメージされていた。20代半ばには果樹栽培で一山当てて大儲けをした。母を連れて田舎の北海道に旅行で帰った時3人の年長の兄弟が暮らしていたが、母は北海道に残らず勇次が住むブラジルに帰ることを決めた。99歳まで勇次とともに生きた母だった。

 次に山田とその家族を紹介しよう。山田は47年に北海道十勝郡音更(おとふけ)町で、父・茂と母・秀子との間の11人兄弟の男で末っ子の5男として生まれた。13歳になった中学1年生の時に中退、60年8月に聖州レジストロに入植し家族10人でブラジルへ移住した。11人兄弟だが北海道にはいまも兄弟3人が住んでいる。75年に結婚した妻はネウザ・ユミコ・山田でブラジル生まれの2世で65歳。妻への感謝の言葉「ずっと良くついてきてくれた、感謝している」と一言。
 子供の名前と年齢及び仕事の役割分担は、長男・ジュン、41歳 ブラスニカ社長。次男・トニー、37歳 ブラスニカから独立しバナナ中心に果物販売をベロリゾンテ商圏で行う経営者。3男・ケイジ、サンパウロ商圏の経営担当責任者。長女・カリン・ミナ(既婚で夫は大学の先生をやっている)。そして孫8人と、ブラジル山田勇次家は18人の大家族になっている。

 ここで経営者としての山田の生き方・考え方を聞いてみた。ブラスニカ社の経営理念は「全従業員の物心両面に貢献する、世のため人のために尽くすこと」。創業以来、経営者・山田らしさが会社経営にどう反映されているかを聞くと「自分の経験した思いが社員や従業員に伝わっていること」「会社は絶えず拡大発展を目指すこと、この考えを特に幹部や中堅管理職に浸透させること」「そのために販売部幹部や18農場の責任者の管理職幹部や部門毎管理職など定期的に会社の幹部会議を行っていること」と会社としての明確な理念と方向性をもっている。これも山田イズムの1つだ。

 現在、盛和塾ブラジル・代表世話人を務める山田だが、ブラジル塾は93年に開塾され96年に入塾した。理由は「人生の指針」を後継者育成のために学ぶことだった。そして時節が到来する。04年の盛和塾全国大会で最優秀経営者賞を受賞した。経営者として最高の名誉を手にした瞬間だった。その時に稲盛和夫塾長から直接贈られた言葉がある。手渡された本の中には自筆で『ブラジルで頑張って日本人の魂を証明してください』と書かれていた。数万人いる塾生の中でこの言葉を贈られたのはたぶん山田1人だけだろう。それだけ塾長が山田のスピーチに感銘と感動をうけたことは間違いない。

 日本と比較した盛和塾ブラジル・日本語部会の日系人経営者に共通した特徴と独自性は何かを聞いた。それは「全員が創業経営者、稲盛哲学は創業者イズムで、従って稲盛哲学を勉強するには最適な経営者塾だ、海外塾ではブラジルが第1号(1993年)でこの誕生を契機に世界中に盛和塾が拡大していった。日本はもちろん世界中の盛和塾の中で2世や3世経営者の塾生が増える中で、ここブラジルには創業者イズムが脈々と継承されており、いわば盛和塾本来の原点がここブラジルに残っている」。

 ブラジルのバナナ王と呼ばれ今年71歳になった。目には見えない人生の天運を持っている経営者だ。努力の後に天運が後押してくれる、それほど凄まじい努力を重ね、自分を磨き続けながら一生懸命生きてきた。取材していくと、リスクを恐れず、失敗を恐れず、果敢に新事業開拓に向かう、そこにはブラジルの大平原で挑戦し続ける経営者・山田勇次の姿があった。(敬称略 文責 カンノエージェンシー代表 菅野英明)

2018年4月11日付け

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