【2014年新春特集】2014年に羽ばたく日本企業 「日立エアコン・ド・ブラジル社」

稲場恒一社長

全伯に大型施設、空調設備導入

 現在、ブラジル26州とブラジリア連邦直轄区とほぼブラジル全域の大型商業施設や病院等に空調設備を納入し、サンパウロ(聖)市内ではショッピングセンター・プラザ・イグアテミやノーベ・デ・ジューリョ病院といった有名施設に製品を納入している日立エアコン・ド・ブラジル社(HAPB、稲場恒一社長)。日本企業としては唯一、聖州サンジョゼ・ドス・カンポス市(中大型空調設備)とアマゾナス州マナウス市(ミニ・スプリット)でエアコンを製造している。(写真右=サンジョゼ・ドス・カンポス工場)

ブラジルでの歩み

 1962年に米国系現地企業ラインマテリアル社への資本参加という形で進出した日立製作所の空調部門として72年に設立され、99年には日立製作所から分社した日立空調システム(現・日立アプライアンス)に経営が引き継がれて現在に到っている。

 73年に建設されたサンジョゼ・ドス・カンポス工場、そしてパウリスタ大通りの本社事務所、昨年8月に落成式を行ったマナウス工場に総計約800人が勤務している。

 日本企業として40年前からブラジルでエアコンを製造しているが、その間の苦労は日本以外の国からブラジルに進出した多くの企業にとっても同じことだったが、それはそれで実に大変なものだった。 

 その中でも特に外国からの進出企業を困らせたのは、75年7月に発令された「強制預託金制度」。これは輸入部品に対して、その価格の100%の資金を1年間ブラジル政府へ供託しないと輸入が認められない法律だ。

 当然、輸入部品価格の2倍資金が必要になるが、1年後に戻る当時の価値修正無き供託金はインフレで限りなくゼロに近づき、企業の資金繰りを圧迫した。

 このようにブラジルの輸入規制がより強化、あるいは悪化されて運転資金不足となり、日本側日立製作所から借入をして操業を続けたが時運悪くオイルショックによる景気低迷で売り上げが下降。大きな投資と借入金により経営危機に陥ったが、その後最大の競争相手で76年に市場参入していた当時は米国系で現在は中国系のミディアキャリア社が77年7月、まさかのブラジル早期撤退(ミディアキャリア社はその後ブラジル再進出)で日立の市場占有率が好転して息をついた。

 また、82~94年ごろまで続いたハイパーインフレの時代には、83年に部品の輸入率を減らすべく投資をして半密閉形圧縮機の現地生産を開始したが、84年末のインフレ率が200%を超えて、以後10年はハイパーインフレ時代に突入。ブラジル政府は86年2月から94年4月の間に4回のデノミを実施、価格凍結令や各種経済統制が相次いだ。

 当時、朝令暮改のブラジル政府による政策変更を日本側本社が理解できるわけはなくブラジル法人側が何を言っても信用されない状況があり、悲しいか な日本における大企業でさえ、いったいブラジルで本当に何が起こっているか、正確な情報分析そして理解という意味で悲劇と喜劇が混沌としていた。

  それでもブラジルに進出していた日本企業の救いといえば、90年前後の日本にあった狂気の時代「バブル景気」で各日本企業には金が有り余っていたことが不 幸中の幸いで当時、資金力のあった大企業ならブラジル政府という「吸血鬼」に血を吸われて瀕死状態だったブラジル法人に融資という「輸血」を行うことが可 能だった。

 ちなみに日本が経済不況の現在、ブラジル法人からわずかながらも日本側本社に送金している例が増えている。

 世界経済というのは、今や20年のサイクルで国と国の関係がひっくり返るから油断ならない。

  こんな経験から数回にわたってブラジルからの撤退が真剣に話し合われたこともあったが、「地産地消」をモットーに社員と特約店の奮起により一番苦しい時代 を乗り切った経緯がある。ブラジルの空調市場が活性化している現在、韓国等から入ってきた新興勢力には絶対に負けられない思いが同社にはある。

苦難乗り越えてきた42年
さらに飛躍する総合空調メーカー

◆サンジョゼ・ドス・カンポス工場

  1972年9月、サンパウロ州サンジョゼ・ドス・カンポス市近郊に24万5000平方メートルの工場用地を取得して敷地内に建坪2400平方メートルの第 1工場建設を開始して翌年6月に完成。今でもたまに街のレストラン等で出会う縦2メートル横1メートルの大箱が懐かしい「パッケージエアコンBP―509 号」の生産を8月から開始した。このころから輸入規制がさらに厳しくなる見通しだったので、現地生産機種の拡大と熱交換器等の主要部品の自社製造化を進め るための投資許可を得て、敷地内第2工場(7200平方メートル)を建設した。

 この当時、インフレによる経営悪化から79年4月 にサンジョゼ工場で初めてのストライキが起こり、同年9月には当時のブラジル通貨「クルゼイロ」の対米ドルレートが30%に切り下げられ、80年1月には すべての輸入が割り当て制になるなど、部品輸入がますます困難になっていった。

 この間、同工場は原価低減を目的にしたモデルチェ ンジと新機種開発を意欲的に行い、同業他社が営業所を閉鎖したり大手設備業者が倒産するなどしていた不況の荒波を何とか乗り切り、80年4月にはパッケー ジエアコンの累計生産台数が1万台を達成。年末時での社員数は328人、ちなみにこの年の年間インフレ率は110%だった。

 82年も相変わらず輸入規制や外貨規制が相次いで制定され、ブラジル国内の空調等家電メーカーの多くが操業停止に追い込まれた。

 市場はますます深刻な状況にはなっていたが、82年末にはパッケージエアコンの累計生産台数が2万台に到達。市場占有率は過去最高の52・5%を記録した。

  苦労はさらに続き、90年に入るとブラジル経済の大分起点となる「コーロルプラン」が3月に発令。通貨変更、銀行預金封鎖や物価凍結が実施され、進出企業 というよりもブラジル人が経営する国内企業と一般人民に大打撃を与えながらもHAPBを苦しめ続けた「輸入」が自由化された。

 90年末のパッケージエアコンの累計生産台数は5万7000台、従業員は435人。このころから空調機の小型化と一般家庭・小型商業施設への浸透が始まり、この年のインフレ率は実に1800%だった。

  つらい時代はさらに続く。96年1月にブラジル政府が税制改革を行い、コレソン・モネタリア(インフレ価値修正制度)を廃止したしわ寄せで日立空調は資金 状況が悪化。6月にグループ他社から米ドル建ての大口融資を受けたが、97年7月のアジア金融危機を契機としてブラジル経済の不況も一段と深刻化していっ た。

 ブラジル政府が対策として通貨切り下げと完全変動相場制へ移行した結果、為替相場が大幅に下落した。結果、米ドルでの借金が膨張して業績悪化はさらに継続して行った。

 この年の唯一の明るい出来事は、国際標準のISO9002を取得したことだった。

 時代は21世紀に突入。2002年12月に創立30周年記念式典を開催したが、業績は相変わらず厳しい状態が続き、当時の従業員は291人へと縮小、パッケージエアコンの累計生産台数は20万台だった。

  以上、テレビドラマ「おしん」のごとき苦労のオンパレードだったが、同社がこうやって撤退もせずにブラジルで頑張って来れたのは、77年10月に開催され た第1回ブラジル空調設備業者大会でHAPBが宣言した「Veio para ficar(ブラジルにとどまるために日本から来た)」の精神を継続してきた結果でもあった。

 このような臥薪嘗胆(がしんしょう たん)の苦労も05年ころから始まった「第2次ブラジルの奇跡」による好調な経済の波に乗って業績は上り坂に。12年に同工場で開催された創立40周年記 念式典には既に定年退職している歴代のHAPB社長たちを日本から招待。「この40年は新たな一歩の始まり」と、これまでの苦労が報われるうれしい「結 果」を見ることになった。

◆マナウス工場

 2013年8月15日、小型エアコン「ミニ・スプリット」の生産拠点となるマナウス新工場の披露テープカット式が、日本側本社日立アプライアンス株式会社から二宮隆典社長らを迎えて開催された。 

  それまでHAPBは、その市場の大きさは認識しながらも競争が熾烈(しれつ)で販売戦略を立てにくいことから、家庭用・小型商業施設向けの小型エアコンを 国内生産せずに1995年から日本と台湾からの輸入販売をしていた。しかし、これでは特約店への供給が安定しない状態だった。

 1 台の室外機で複数の室内機を稼動させる中型機器VRF(商品名・セット・フリー)だけなら市場占有率トップの35%だが、業務用全体シェアではミディア キャリア社に次ぐ18%に甘んじていた。その後、ミニ・スプリット専用のマナウス工場設立で一気に全体トップを狙える供給体制が整った。

◆今後の展望

  ブラジルに生産拠点を有する空調機器メーカーは、中国系のミディアキャリア社、米国系のヨーク社、韓国系のLG社・サムスン社そして日系のHAPB社と競 合が激しい。前述した通り、40年間での特別な苦労と経験が大きな財産となっているHAPBは今年2014年にはミニ・スプリット・エアコン(写真右)の販売に注力すると共 に、ブラジル市場のニーズに合った開発・製造・販売を実施する総合空調メーカーとしてさらなる飛躍を図っていく。

 今年のサッカー・ワールドカップ、2016年リオ五輪に向けてブラジル各地の会場付近に100~300人程度収容の中型ホテルが数多く建設されており、それに対して日本の省エネ技術を目玉にした販売戦略が勝負どころだ。

 主力製品のセットフリーもオフィスと高級アパートへの販売も順調に伸ばし、まさしく今年が正念場だ。

 稲場社長は「空調の商売に奇策なし、地道に足で稼ぎます。40年の歴史におごることなく常にチャレンジャーの気持ちでこれからも挑戦していきます」と今年の抱負を力強く語った。

2014年1月1日付

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