【移民104周年】55年着伯移民船ボイスベン号

幼くして乗船した子どもたち。後ろには日の丸を広げる人も

同船者会で当時の写真を鑑賞

 1955年5月10日にサントス港に着いたオランダ船「ボイスベン号」の同船者会が5月初旬、聖市リベルダーデ区の日本食レストランで開かれた。同移民船の同船者会は、2010年に着伯55周年を記念して初めて開催。昨年に引き続き今年も行われ、今回で3回目となった。

乗船時の思い出語り合う

 同会には常連の参加者だけでなく、家族が同船で渡伯したという人も出席。  年前に亡くなった夫が同船で来伯したという浅尾リーナ瑠璃子さん(17、2世)と  歳で乗船した榎原美年夫さん(74、山梨)が、当時船上や寄港地で撮影した写真を持参した。

55年当時、カメラは現在ほど普及していなかったが、船上で撮影した写真の中にはカメラを手にする人の姿も確認できる。また、同移民船は船内に現像できる設備があったそうだ。

写真を手にした参加者は「あの人はいた?」「ここに居るよ」「僕も居た!」と知人や若かりしころの自分の姿を夢中で探し、乗船時の思いや様子を語り合った。

「着伯して間もないころ、薄汚い格好でやせこけた夫がパダリア(パン屋)を眺めていたところ、洋服店を営む日系人が声を掛けてくれたことがあった」。浅尾さんは写真を眺めながら、夫・稔さんから聞いた思い出を披露した。

その日系人から「(パンを)一つおごってもらった」が、空腹だった稔さんは六つほど平らげた。その出来事をきっかけに稔さんは洋服店の主人と顔なじみとなり、「知り合いがいなかったので、毎日楽しく立ち話をした」(浅尾さん)そうだ。初めて出会った時「いつか服を新調する」と言った稔さんは、約束通り洋服を作ってもらったという。

話題が着伯直後の稔さんの話に及ぶと、同船者たちの間では「彼は百人一首を覚えていて、船上ではよく百人一首の話をしていた」「国文学を勉強したかったようだ。百人一首の話は僕らはよく分からなかった」と会話が弾んだ。

参加者によると、同移民船でブラジルに渡った移民は約100人。パラグアイ移民が多かったようだ。着伯57年となった同移民船。参加者らは「亡くなった人の方が多いだろうか」「(家族で渡伯した)親世代は居ないだろうね」などと語り合い、同会発起人の坂和三郎さん(78、東京)が「55周年を機に始めたが、もう少し早く開催しても良かったのでは」と、つぶやく場面もあった。

「乗船時子どもだった世代も集まらなければいけない」という意見が出たことからどうすれば参加者が増えるかの議論に及び、「次はネットを介して呼びかけよう」という案も出た。

懐かしい写真の鑑賞で盛り上がった同会は、「珍しい写真、大事にして下さい」と声を掛け合い、幕を閉じた。

2012年6月23日付

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